おかえりなさいだんなさま



 ――倒錯的な気分になって。



 残業を終えて通勤片道一時間の行程を過ぎてから、自宅のドアを開けたら目の前に佐助がいた。

「おかえりなさい、旦那様」
「――――…」

 開けたばかりのドアを再び、バタン、と閉め直す。そして幸村は今観たものを脳裏から払拭しようとした。そして今一度ドアを開けた。

「ちょっと旦那、いきなり締めるって」
「――…ッ」

 ――ばたんッ

 幸村は再び今開けたドアを閉めてしまった。確かに見まごうこと無き顔が――佐助が其処に居た。一緒に住んでいる猿飛佐助の顔には違いなかった。だが、彼はいつもとは違う様相をして見せていた。彼は、白と黒の女性物の服を着ていたのだ。

 ――今のはそう、見間違いに違いない。落ち着け、幸村ッ!

 幸村は何度か自分に言い聞かせた。だが観てしまった場面が脳裏に、ふわふわと漂ってくる。佐助が着ていたもの――やたらと華美に、ひらひらとフリルがついていて、スカートはふんわりと膨らんでいた。細い彼の足にはニーソがあり、長い足にそれが足りずにガーターが片方だけ見えていた。

 ――いざっ!

 幸村はドアの前で、すう、はあ、と深呼吸をしてから、そろりと再びドアを開けた。そして中に入り込むと、玄関先に正座をしている彼が居た。

「おかえりなさいませ、旦那様」

 正面から、にっこりと微笑む彼に見間違いではないのだと思い知らされてしまう。ぐったりと項垂れながら、幸村は上目遣いで彼に視線を向けた。

「――…一体どうしたんだ、それは」
「あ、吃驚した?どう?似合うでしょーッ」

 にこにこと佐助は幸村を見上げてくる。幸村は目の錯覚でなかったことだけを確認すると、観念してドアの鍵を閉めた。

 ――似合っていなければ笑い飛ばすことも出来たのに。

 それなのに彼はしっかりとその服を着こなしてしまっているのだから性質が悪い。幸村は、立ち上がった佐助をすり抜けて自室へと向った。
 自室に向う間、幸村はネクタイを外し始めていると、それを背後から腕を伸ばしてきた佐助が遮った。

「おい…」
「駄目、旦那。俺が解いてあげるから」

 絡まってくる指先に、幸村が振り返ると、背後からぎゅうと抱き締められて動きを阻まれる。幸村はムッと唇を尖らせて肩越しに振り返った。

「これくらい一人で出来るぞ」
「あのさ、俺様の格好観て解らない?」

 反論しようとした幸村に、佐助はにこにことしている。彼の格好を見るだにひとつしか思いつかない。幸村は恐る恐る答えた。

「…メイド?」
「そう!なんだぁ、解ってるじゃない」

 ぱん、と佐助は背後からまわした手を打って、嬉しそうに幸村の肩に顎先を寄せた。

「だから俺様が…旦那の面倒見てあげる。特別サービス付だよ?」

 ――しゅる。

 佐助の言葉と共に、首に掛かっていたネクタイが滑り落とされた。そして、ひたり、といつの間にか彼の手が、幸村の胸元――肌に触れていることに気付いた時には、静かに口唇を奪われていた。










 自室のベッドの上に乗り上げながら、肌蹴たシャツもそのままにして、幸村はずるずると背後に逃げていった。だが背後は壁だ――逃げ道などもともと無い。
 途中まで脱がされた衣服が邪魔をして動くことも難しい。そんな中で片足を持ち上げられて、裾からするりとたくし上げられる。佐助の手が、ふくらはぎを揉み込んでいく。その度に指先がびくびくと動く。

「あ…ッ、ん、っく」
「旦那様、此処は?随分張ってるけど…疲れた?」

 ふ、と熱い吐息が足裏に触れて、幸村は首を竦めた。揉まれているふくらはぎにある心地よさとは違う感覚が、足先からせり上がってくる。

 ――ぴちゃ。

 足先から濡れた音が耳朶に突き刺さってくる。嫌だと拒んでも、駄目だと言っても、彼は話さずに濡れた音を響かせている。

「っ、ふ…そんな、処…ッ」

 意図せずに声が掠れ、かあ、と羞恥が頬に上る。幸村がぐっと口元を噤むと、煽る様に佐助は幸村の足の甲を掴んで土踏まずを、べろ、と舐めた。

「旦那ってエロいねぇ、本当に」
「何だと…ッ」

 口元を手の甲で拭いながら、佐助は身体を起こした。脹脛に添えていた手を、そのままくるりと這わせて太腿を撫でながら、身体を乗り上げてくる。

「足の指でも感じるんでしょ?」

 先程まで佐助は幸村の足指を一本ずつ舐めていた――唾液で濡れた口元を拭っても、彼の唇は唾液で光っている。幸村が泣きそうになりながら見上げていると、膝立ちになった佐助は胸元に手を添えてきた。

 ――する…するる…

 肌蹴た胸の上に掌が滑り、つん、と胸元の飾りに触れて来る。それと同時に、びりりと背中まで突き抜けるほどの快感が走った。

「はッ、あ、ああっ」
「ほら…感じてる」

 くすくす、と咽喉を震わせて佐助は嗤った。指摘されて幸村は自分の胸元を見下ろした。佐助の手によってほんわりと色付いている肌もさる事ながら、足の指を舐められただけなのに勃ち上がって存在を誇示している己の乳首を見て、ぶわあ、と一気に頭に血が上った。
 あられもない己の姿に硬直してしまっていると、佐助は構わずに幸村の膝を割って間に身体を滑り込ませてきた。

 ――ふわ。

 肌に佐助の着ている服の裾が触れる。ひらひらとしたフリルが撓んで、ふわりと空気と共に降りてきた。

「くすぐったい…ッ」

 幸村が口元を歪めて情けなく言うと、佐助は顔を近づけてきてキスしてくる。何度も啄ばまれていると、徐々に彼の舌先に翻弄されていってしまう。

「んっ…、く、ん…」

 ――ちゅ、ちゅ、ちゅッ。

 啄ばんでは離れる唇に、もっとと思ってしまう。幸村がシャツに阻まれた上着を――片方だけ自分で脱ぎはらって、佐助の首に腕を引っ掛けると、彼は咽喉の奥で笑った。

「どうしたの、旦那…」
「中途半端な…触れ方ばかり…」

 足りない――何処も彼処も足りなくて、もっと深く味わいたいのに、と告げているようなものだ。幸村は言いながらも火を吹きそうな思いをしつつ、ぐっと腕に力を篭めた。鼻先に佐助の吐息が降りかかり、唇が重なる瞬間、佐助はかすれた声で問うてきた。

「ねぇ、旦那ぁ…」
「うん――…?」

 佐助の呼びかけで瞳を上げると、彼は空かさず幸村の片腕を取って、自分の腰に当てた。細い腰に今はふわふわとするフリルが触れる。たぶんエプロンの紐だろう。
 何だろうかと小首を傾げていると、佐助は口の端を吊り上げて聞いてきた。

「俺様のこの中、気にならない?」
「え?」

 ――この中。

 そう言われて佐助が指し示したのは、スカートだ。ふんわりと空気を含んで撓んでいるスカートだった。呆気にとられている間に、ごくん、と咽喉が鳴ってしまった。
 先程彼が立っていた時に見たら、スカートから覗く足は黒いニーソらしきものがあった。それに、撓んだスカートの奥からも、ふわふわとしたパニエが見えていた――だが幸村にはそれがなんと言う名前のものかは解らない。やたらと面倒な格好をしていると思ったくらいだった。

 ――ごく。

 もう一度咽喉を鳴らすと、佐助は上機嫌になりながら、腰に当てられている幸村の腕をぐっと力を込めて握った。

「ほら、触って」
「わ…ッ、あ、あ、ぅぅ」
「これ、脱がせて?」

 くる、と腰の後ろの結び目に来るように幸村の手を誘導する。両手を佐助の絡めさせられていると、幸村の手が震えてしまう。エプロンの結び目すら解けないでいると痺れをきらせて、佐助が「早く」と促がしてくる。幸村が震える手を握りこんで泣き出しそうになりながら、佐助に伝えた。

「だ、駄目、だ…」
「駄目…そう。じゃ。こっちは?」
「うぅ…」

 腰のエプロンの結び目から。それよりも上に手を誘導させられる。すると佐助の背骨――頚骨の窪みの下に、金属の感触が触れた。

「ほら、後ろのファスナー外して」
「――ッ」

 身体を屈めて佐助は幸村が引き下ろしやすいように誘導してくる。ファスナーの上にあるホックを、彼は片手で、ぴん、と跳ねてから、幸村の耳元に囁いた。

「そのまま下に引き下ろすだけでいいから」
「こ、こうか…?」
「ん、そう…」

 ――ジジ…。

 言われるように手を動かしていく。徐々に引き下ろされるファスナーの感触と共に、指先が佐助の背中に触れた。

「あ、旦那…ッ、手、挟まないでね…」

 瞬間、佐助がぴくんと背中を揺らした。触れた肌の感触に一気に幸村の方が恥ずかしくなっていく。そうなると幸村はもう泣き言を言うしかない。

「あ…うあ…――っ」
「え…ちょっと、旦那ってば」
「佐助ぇ、駄目だぁ。俺には出来ぬぅ」
「出来ぬぅって…そんなにハードル高くないんだけど」
「破廉恥でござるぁぁぁ」

 幸村は自分の顔に手を宛がって真っ赤になった。涙目になりながら佐助の下で――足を広げられた格好のままで――顔だけ覆い隠してしまう。

「もう…今の旦那の方がよっぽど破廉恥」
「え…」
「扇情的なんだけどね。じゃあ、こっちは?」

 ――ひらり。

 佐助は幸村の目の前でスカートの裾を少しだけ捲って見せた。更に片足を前に出してくる。幸村の目から見える箇所には、ひらひらとした裾とパニエ、そして佐助の細い足にあるニーソの境目があった。ニーソの色と、佐助の白い肌の色とのコントラストに、思わず目のやり場に困ってしまう。

「うう、佐助ぇ」
「これなら簡単でしょ?此処に指引っ掛けて…脱がせて?」
「あ、や…やだッ!」
「大丈夫、旦那なら出来るって」
「無理でござるぅぅ」

 幸村の手をとって佐助は自分の腿に当てさせる。幸村の腕にはひらひらとしたパニエの感触、そして彼の肌の感触が触れて来る。

 ――恥ずかしいぃぃぃ。

 スカート捲りをしてしまっているような気分に、幸村は居た堪れなくなっていく。だが逃げることも出来ずに、触れた指先をぐっと引き下げた。

 ――がり。

「あ」

 不意に佐助の声が迫り、瞳を上げた。すると、ビィィ、とニーソが伝線していくのが見えた。

「す、済まぬっ!」
「あ〜あ…やっぱ引き伸ばしすぎてたか」

 びりりと伝線していくニーソに思わず謝ってしまうと、佐助はふるふると首を振ってから「旦那、激しいのが好き?」と揶揄うてきた。

「そんな訳あるかッ!」
「でも、破いちゃうなんてさ」
「ううう、もう勘弁してくれ」

 今日は帰ってきてから散々な目に合っている気がしてきた。幸村は顔だけ横に背けて、下唇をぎゅっと噛み締めた。

 ――佐助はメイドの格好しているし、着替えさせるっていうか脱がせるし、足まで舐めるしッ!

 思い出すと本当に何が何だか解らない。幸村が降参の様相を見せて、ひっく、としゃくり上げると、ようやく佐助は嘆息して身体を起こした。そして後ろ手になりながら呟く。

「そか。旦那は脱がし方知らないか」
「ば、馬鹿にしてないか?」
「全然。だって脱がすのは、俺様の役目だもんね」

 くわ、と涙目のままで怒鳴ると、佐助はにたりと口元を歪める。そして瞳を眇めながら小声で呟く。

「ていうか…うん、解らなくて安心した」
「え?」

 幸村が問い直すと、しゅる、とエプロンを外す。ひらり、と離れ落ちたエプロンを、ベッドの横に投げ込み、佐助は乾いた下唇を舐めた。

「いいよ、観てて。脱いであげるから、目を離さないで」
「わ…や、やめ…」

 幸村が思わず凝視している中で、佐助は伝線してしまった方のニーソを、片足を立てて脱ぐと、ゆっくりと幸村の目の前で動かしてからベッド下に落とす。
 いちいち佐助の動く様が艶かしくて、どくどくと心臓が五月蝿くなっていく。幸村は程なくして、どん、と佐助の胸元に手を当てると、瞼をぎゅっと引き絞った。

「もももももういいッ!頼むからッ、そ、そのままで…ッ」
「旦那ってば」

 くす、と小さく嗤った佐助が器用な動きで幸村の唇を塞ぎながら、ズボンを引き抜く。素肌がふわふわとしたパニエに触れる。幸村がそれだけでも、びくびく、と肌を動かすと、とん、と直ぐに佐助の足が触れてきた。

「あ…――熱い…っ」
「ごめん、解る?」

 ――ぐり。

 足が触れてその先に硬い物が当たる。それが彼自身だと気付くのには時間は要らなかった。佐助は即座に幸村の陰茎を握りこむと、己のそれと合わせた。

「ごめん、旦那があんまり可愛くてさ…」
「な…ッ」
「もう余裕無いんだよね」

 ――ぐちゅん。

 佐助が言うのと同時に、陰茎同士が擦り合わせられる。どちらとも着かない粘着質な音が直接耳に響いてくる。

「あ…ッ、あぅ…――ッ」
「旦那…ッ、ん…」
「はっ、ぅ…――」

 掠れた声を出しながら佐助が幸村の胸に上体を落としてくる。幸村の腹の上に、フリルが触れてくすぐったい。そしてその下から、ぐちゅぐちゅと濡れた音がしきりに響いていった。

 ――変な感じ。

 だが興奮してしまうのは否めない。見えない分、余計に音と感覚だけが鋭敏になって行く。

「佐助…さ、――っ」
「…達きたい?」

 ――にゅる、ぐちゅ。ぐちゅん

 音に合わせて身体がびくびくと弛緩して、頭の先まで熱くなっていく。幸村は口を閉じることも出来ないほどに、喘ぎ続けるだけだった。呼吸も苦しいのに、下肢にずくずくと甘い痺れが走り出してくる。

「あ、ああ…――っ」
「いいよ…旦那、達っていいから」
「ひっ、――――ッッ」

 互いの陰茎が、ぬるぬると滑り出す。ぐりぐりと先の割れ目に佐助の指先が絡まった瞬間、幸村は咽喉を引き絞らせて、音にならない叫びを上げていった。











 素肌を触れ合わせて、正面から抱き合いながら、ぐったりとベッドの上に横たわっていると、腕枕をしていた佐助が額に口付けてきた。既に汗も引いて、さらさらとした感触だけが触れて来る。幸村は擦れてしまった声を絞り出して佐助を見上げた。

「で?何でメイドなのだ」
「あ〜…ていうか、旦那のスーツ、クリーニングに出そうと思ったら」
「うん?」

 ごそ、と身体の向きを変えて、佐助はエプロンのポケットを探って、名刺を三枚取り出してきた。

「こんなの出てきたから」
「な…ッ!」

 見覚えのある其れは、接待で行った店で強引にポケットに突っ込まれたものだった。いらないと断るわけにも行かず、後で処分せねばと思っていたものだった。
 幸村は思わず頬を朱に染めた。だが佐助は憎らしそうに――恨めしそうに、その名刺を睨んでいる。

「コレ、女の子の名刺でしょ?浮気してんのかなーとか、こういうの好きなのかなーとか、色々疑っちゃって」
「馬鹿者ッ」

 ぷう、と頬を膨らませて佐助の言葉を遮る。一瞬前まで下がってきていた佐助の表情が、ぴん、と元に戻った。幸村は上体をぐっと起して――腰に痛みを覚えて一度戻りかけたが――佐助の顔の横に腕をついて覆いかぶさるようにして見下ろす。
 さら、と長く伸ばした幸村の髪が肩から滑り落ちて、佐助の胸元に触れた。

「旦那…」
「俺が…俺が、こうして…色々赦すのは」

 佐助の手が柔らかく幸村の肩に、顎先に触れていく。彼の手に触れられる心地よさに、うっとりとしそうになるが、幸村はそのまま佐助の胸元に身体を沈めて、告げていく。

「お前だけ、なんだからな…」
「旦那…」

 佐助の手がそっと幸村の背に触れて来る。幸村は答えるようにして腕を彼の肩に掛けると、圧し掛かる勢いでしがみ付いた。

「だから、遠くても此処から通っている訳だし、それくらい慮れッ!」
「はいはい、俺の旦那様」

 あはは、と軽く嗤った佐助が、ふと幸村の頬に触れる。顔を起されてみると、優しい眼差しで佐助は幸村を見つめていた。

 ――ふ。

 引き寄せられるようにして唇を重ねてから、ふと幸村は佐助にもう一つ、問いかけた。

「で…?後は何もないよな?」
「んー?」

 にま、と佐助が口元を半月に歪める。その仕種に嫌な気持ちを感じながら、幸村は眉間に皺を寄せた。

「お前のことだ、それだけではなかろう?」
「まぁ、ネタにもなるかなって」

 佐助は誤魔化すようにして幸村を引き寄せると、胸元に彼を閉じ込めて横になった。指佐助の胸元でごそごそと腕を回してしがみ付きながら、幸村はしぶしぶ言った。

「――ネタにしてもいいが、あまり破廉恥に書くな」
「それ無理。俺様の職業知ってんでしょ?」

 ――官能小説家だし?

 開き直るだけ開き直って佐助が嗤う。そして幸村の耳元に囁くと、幸村はただ頷くしか出来なくなっていった。

 ――お家で旦那をいつでも待ってるからね。いってらっしゃい、と、おかえり、は俺様だけに言わせてね。

 佐助の言葉に頷きながら、幸村は彼の匂いに鼻を鳴らしながら、そっと瞼を落として行った。






 了




100808/110221 up 2010夏コミ発行で寄稿したお話