鳳仙花



 夏の日差しを一杯に浴びている縁側に、足を外に投げだして座っている佐助が、目の前に幸村の背格好と変わらない穴山小助をおいて向かい合っている。

「さす…――っ」

 彼を探していた最中だった幸村は、声を掛けかけてやめた。
 幸村の視界に映る佐助は、流れるような動きで左手を小助の顎先に向ける。すると小助はそのまま顔を仰のかせていく――そして、さらり、と紅筆を向けて、小助の顔を彩っていた。されるままにされている小助は徐々に化粧を施されていく。

 ――真剣な顔をして…

 戦場の緊迫した表情とは違う、表情を乗せない彼の素顔が、じっと小助の顔に向う。それを遠目にでも観てしまうと、自分に向けられる表情との違いに、胸の中心辺りがじわりと燻り出した。
 幸村がそうこうしていると、佐助は構わず側に置いてあった化粧箱を探り出す。

 ――かたん。

 小首を傾げて佐助は小助をまじまじと見つめながら、横に置いてあった化粧箱から、乳鉢を取り出すと、別の筆でその中の汁を取り、そっと小助の手をとった。

 ――ひらり、ひらり。

 筆が翻る――佐助はひらひらと小助の指先に色を乗せていく。真剣に塗りこみながら彼は俯きがちになった。すると彼の眦に、さらりと一本の影が出来ていた。それが彼の睫毛だと気付く。

 ――睫毛、長いなぁ。

 幸村はすっかり彼らのやりとりを見つめてしまっていた。それと同時に胸元がなにやらもやもやとしてきてしまう。
 小助の後姿は、幸村そっくりだ――それもその筈で、小助と云う少年は幸村と瓜二つだったりする。小助に構う佐助に、胸元が焦がされていく――それが嫉妬だということに気付くにはまだ時間を要してしまう。今は何よりも、自分にそっくりの小助に構う佐助が気に入らない。同じ容貌をしているというのが錯覚を引き起こすのかもしれないが、自分に化粧を施されているような気持ちにもなってしまう。

 ――ぎゅ。

 幸村は知らず袖口を握りこんだ。すると、小助の指を手に取りながら、くすり、と彼が笑った。

「旦那ぁ、突っ立ってないで、こっち来たら?」
「ぬ…――ッ、いつから気付いて」
「最初から」

 言い様に佐助が顔を上げる。そして日差しを受けながら、佐助は微笑んでくる――彼が笑顔を見せてくれるのは、幸村にだけだ。それも主従と云う親しい間柄というだけではないことを、身をもって理解しているので、こんな時は少しだけほっとしてしまう。
 自分だけに向けられる笑顔――好意、それが特別な存在であると言わしめられるようで、安心してしまう反面、何処か優越感を感じるものだ。
 幸村は小助と佐助の間に歩み寄って、徐に座り込む。すると小助は今まさに化粧を終えたという顔で、ほんのりと頬まで染めて幸村に顔を向けてきた。

「幸村様、幸村様、どうですか?俺、女の子に化けれてます?」
「ああ…いや、凄いな。女子そのものだ」
「っていうか、小助。お前がもともと女顔なんだって」
「それって、幸村様が女顔って言っているようなものですよ?」
「いや、旦那は女顔っていうよりも…美形?」
「な…ッ、何を申すか、佐助ッ!」

 幸村の視界の中には、もう一人の自分が佐助に化粧を施されているかのようだが、幸村の視界には完全な女子に見える。化粧一つでこうも変わるのかと不思議な心持だった。
 しかしそれよりも、佐助の口からさらりと出た賛辞に戸惑ってしまう。
 幸村の動揺には関与せずに佐助は小助の手元を取ったままで、再び筆を紅く染めた。

「佐助…それは何だ?」
「これ?」

 幸村が身を乗り出してみると、佐助は横に流した視線で問い直してきた。佐助が少し猫背になっているものだから、幸村と視線の位置が合い、どきん、と胸が飛び跳ねた。佐助は肩を寄せて幸村の前に鉢の中を示してくる。

「これは鳳仙花の汁だよ。磨り潰してね、こうして爪に塗るの」
「そ…そうか」

 近くなった距離に幸村が身体を硬くしていると、じっと佐助が見つめてくる。

「旦那もやってみる?」
「え…ッ?」
「塗ってみない?」
「いや、不器用だし…何よりそのようなもの似合うはずが…」
「似合うよ」

 慌てて幸村は首を振ると、すとん、と佐助は答えてくる。そして小助の手を離すと、さらり、と幸村の手をとってから、ぐっと口元に引き寄せると、爪の辺りに息を吹きかけてきた。

 ――ふ。

 吐息が指先に当たって幸村が真っ赤になっていくと、間で見ていた小助が溜息をついた。

「頼みますから、その先は俺が居ない時にしてくださいよ」

 呆れたようにして言う小助は、幸村とそっくりな顔を――眉を片方だけ下げるという、非対称な動きで――歪めて見せた。だがこの小助の言葉に小首を傾げたのは、幸村ではなく佐助だった。

「何だ小助、まだ居たのか」
「はいはい…邪魔者は早々に退散しますぅ」

 幸村の手を取ったままの佐助が、顎先で小助をあしらう。幸村は小助の後姿を見送ってから、再び佐助に視線を戻した。

「しかし見事なものだな、小助は」
「そうですかねぇ?」

 佐助は少しだけ皮肉るように答える。幸村は手に触れている佐助の手をじっと見つめながら、先程から燻っていた気持ちが晴れていることに気付いた。そして佐助にそのことを告げようとして顔を起した。

 ――ふ。

 顔を起して直に視界に映ったのは、長い睫毛だ――ぱちりと瞬きをしている内に唇に柔らかい感触が触れ、そして離れて直に佐助の親指が唇を撫でていく。

「あのさ、小助なんかを褒めるより、俺様のことを褒めてよね」
「――…ふ」
「ちょ、何笑ってんの?」
「妬いて居るのか?」
「な…――っ、妬いてなんか…ッ」

 ぶす、とひねくれて見せた佐助の素振りに、思わず幸村は笑った。だが直後にふと自分も同じように嫉妬していたのだと気付く。

 ――なんだ、同じか。

 お互いがお互いに嫉妬していたのだ。それを思うと何だが笑うしかない。幸村は佐助が触れている手に力を篭めると、ぎゅう、と握り締めた。

「佐助」

 柔らかく彼の名を呼ぶ。すると佐助も顔を上げて口元を引き結んだ。

「俺も、先程お前と小助に妬いていた」
「――…」
「小助にするように、俺に視線を向けてくれるだけでいいと…他は見ないで欲しいとさえ、思った。俺たちは、やはり互いのことが好きなのだな」
「何を今更…」

 くすくすと笑いながら告げると、佐助はかくりと肩の力を抜いて、そっと幸村の頬に触れてくる。触れられた頬に当てられている手に擦り寄るようにして顔を動かし、そっとその手に手を重ねると、佐助は額をこつりとぶつけてきた。

「俺様が旦那を好きなのは当たり前。でも旦那は…」
「うん?」
「いや…ねぇ、旦那」

 徐に幸村の両手を握った佐助が、左手を持ち上げる。そして幸村の薬指に唇を寄せて触れると、そのままで見上げてきた。

「この指、何処の繋がっているか知っている?」
「――?小指には紅い糸、であったか?」
「うん、そうだね。でもこの指は…ここ」

 言いながら佐助は手に取った幸村の手を自分の胸に押し付けた。服越しでも彼の体温がしみこんできて、幸村は僅かに瞳を眇めて見せた。

「心の臓に繋がっているんだって」
「心の…」
「だからさ、俺の此処は旦那に捧げるから…だから旦那もずっと此処だけは俺だけに染めさせていて」

 手を胸元から離した佐助に、幸村がこくりと頷くと佐助は再び筆をとった。

 ――さらり。

 薬指の爪が赤く染められる。それを見下ろしながら、幸村が小首を傾げると「予約だよ」と佐助ははにかんだ。

「何があっても、あんたの鮮やかさを消さないで。俺のために、紅く染まっていて」
「ならば、いつでも眼を離すな」
「解ってる」
「佐助…――っ」

 呼びかければ顔を上げる――その直後に彼の首に腕を回して、そっと自分から身体を圧し掛からせた。そうすると簡単に――いつもは倒れることの無い佐助の身体だが、他愛なく引き倒される。倒れながら何度も角度を変えて口付けていくと、さらり、と背中を撫でられた。

「どうしたの、旦那。まだ昼だよ…」
「それは解っている」
「解ってて、しているの?」

 佐助が敷きこまれながら手を伸ばしてくる。そして幸村の首にかかった髪を背に払い、少しだけ身体を持ち上げる。その拍子に、ぱしゃん、と紅い鉢が倒れて中の液が零れた。

「あ…」
「気にしなくていいから、しようか」
「ん…――」

 こくり、と頷いた幸村を再び体勢を変えるようにして抱き締めつつ、佐助は不意に首を庭先に向けた。そして幸村に「ちょっと待って」と声をかけると、庭の植木のあたりに向って叫ぶ。

「小助ぇ、覗き見は悪趣味だぜ?」

 ――がさ。

「ばれてたんですか…」
「当たり前だ、馬鹿」

 声をかけられて直に其処から小助が立ち上がる。そして背を向けて草屋敷へと足を向けつつ「人払いしておきますから」とだけ伝えていった。
 幸村と佐助はそんな彼の後姿を見送りながら、思わず笑いだしていった。










 手元を染める赤――それは生々しくて敵わない。生臭く滑る、時にはべたつく感触に眉根を寄せていると、ばさり、と上空から降りてくる影があった。

「旦那、大丈夫か」
「佐助か…この通りだ」
「――派手にやったねぇ」

 すとん、と地上に降りた佐助はあたりの屍を見つめて嘲笑った。幸村はしきりに手元をごしごしと腰の甲冑に摺り寄せて拭い出す。

「旦那?」
「済まぬな…染まってしまって、気持ちが悪くて」
「いいよ…ほら」

 ――かつん。

 何かに駆られるようにして手元を擦り付けていた幸村の手首を取り、佐助が額を押し当ててくる。鉢金の硬い感触に幸村がびくりを肩を揺らしたが、動きが止まった。

「旦那の赤はいつでも鮮やかだから。俺を染めるのは、あんたの赤だけだから」
「佐助…」
「だから、思う存分、槍を振るえ、真田幸村」

 佐助がそう告げると、幸村はすうと息を吸い込んだ。それを見計らって、佐助は彼の手を握りこんで、そして力を込めていく。

「俺の惚れている紅蓮の鬼は、いつでも鮮やかだ」
「お前の眼に映る俺が、映えるよう、槍を振るおう」

 胸を張る幸村に、佐助は下に落ちていた槍を持ち上げた。それを受け取った幸村の腕が、風を切るように動く。

「さあ、行こうか」

 背を向けて、紅く染まりながら戦場を歩く彼に、佐助は少しの嘆息を漏らしてから、頷いていった。













20100905 up
にょ幸版がetcにあります。