雨の日の小話 ――雨の日の佐助の右肩はいつも濡れている。 それに気付いたのはつい最近だ。利き手の右手は空けておきながら、左手で傘を持つ。そしていつも引き寄せてくれる。 「旦那、もうちょっとこっちに来ないと濡れるよ?」 「うむ…そうは言ってもお前はいつも濡れているじゃないか」 「俺様は忍だからさ、濡れるのは平気だっての。長時間雨の中で潜伏しなきゃならないことだってあるんだし」 からからと笑いながら佐助は傘を幸村の方へと傾けた。ばたばた、と大粒の雨が零れ落ちて、傘に反響する。それを見上げていると足元がずるりと滑った。 「――っぶないっ」 「お、おおお?」 くるんと空が見えたと思った瞬間、訪れるはずだった痛みも何もなく腰を強くつかまれた。ふわりと雨の匂いが――少しだけ埃っぽいような、土の濃い匂いのような、そんな香りが鼻先を擽ったと思った瞬間、今度はなれた香りが触れてきた。 「ほら、立って」 「佐助…」 見上げると右腕で佐助は強く幸村を抱きとめている。そしてその左手にはまだ傘があった。なんという瞬発力だと思わざると得ない。体勢を後ろに傾けてしまっていた幸村は、滑る足元に力を入れると、ぐん、と腕を伸ばして佐助の首に向けた。 「旦那…――っ?」 ぐい、と大きく身体を起こした幸村に、佐助が戸惑う。彼の右腕は雨で湿って、冷たくなっていた。着物が色を変えていた。そんなのを視界に収めながら、幸村は精一杯に背伸びをした。 ――はむっ。 「――――…ッ」 くわ、と大きく口を開いて佐助の口に噛み付く。だが歯は立てずに唇で挟み込むと、今度は強く吸い上げた。 「ん…――ッ」 驚いた佐助が鼻先から甘えたな吐息を吐き出した。耳には、ぱたぱた、と雨の雫の音がしていてる。足元にも雨が水溜りを作っていく。 「佐助…」 す、と顔を離すと、佐助はもう一度、ちゅ、と唇を啄ばませた。 「俺様、今両手塞がってるからさ」 「む…濡れてたか」 「うん、凄くね」 ――唇赤くなってる。 くすくすと笑いながら佐助は告げてくる。ひとつの傘に二人で重なるようにして入り込んで、右肩を濡らす佐助はどこか嬉しそうに微笑むだけだ。 「いつもお前には助けられているな」 「そんなことないって」 唐突な幸村の言葉に、佐助が驚く。だが幸村は一度唇を噛み締めてから、もう一度背伸びして彼の耳朶に囁いた。 ――俺のせいで冷えた右肩を、暖めてやる。 それが精一杯の誘い文句だ。そのことに気付いた佐助は、珍しく眦を染めて頷いていくだけだった。 雨の匂いの中に、貴方の匂いを感じました。 大切な、大好きな、あなたの匂いでした。 了 2010.05.24/100826 up |