so,simple



 ――気になる、その理由はどこに?

 ――単純明快、それは恋の始まりだった。



 毎日毎日、よく飽きないものだと思った。

 ――バリエーションのせいかな?

 今日はみたらし、昨日はあんこ、その前はやっぱりみたらしで、その前は確か胡麻だった。ピッ、と軽快な音を立てながらバーコードを読み取っていく。
 手元だけを見ている作業で良いからと、客の顔なんて見ていなかった――その客の持ってくる品物に気付くまでは。

「はい、五百六十二円になります」

 合計金額を出して告げると、正面の客はこくりと頷いて、デニムのポケットから財布を取り出した。

 ――焦らなくていいよ〜。

 小銭を必死に数えている姿に、胸内で思わず告げてしまう。だが彼には聞こえて居まい。

「はい、調度頂きます。ありがとうございました」

 ちん、と軽やかな音を立ててレジを閉める。すると目の前の彼はビニール袋に手をかけて、ぺこり、とお辞儀をした。

「ありがとうござった」

 少々ハスキーな、少年ぽい響きを含んだ声に、ハッと顔を起した。いつもは斜め下を見ている事が多く、正面から客を見たことなど稀だった。

 ――今時珍しい礼儀正しさ。

 レジで礼を言っていく客は居る――だが、彼の物言いが気になってしまった。
 顔を上げる。正面から彼を見る。自分よりも少し低い目線。
 そして、ひらり、と身を翻す時に、背に流れた長い髪が揺れた。

「い…いってらっしゃいッ!」

 思わずそう告げてしまった。ハッとして自分の口に手をやると、調度彼が気付いて振り返った。
 まるでスローモーション。
 くるり、と弧を描いた彼の髪。
そして驚いたように見開かれた瞳が、直ぐに半月に変わる。微笑んだ彼が、ふわりと手を振った。そしてまた背を向けて出て行ってしまう。

「――――…ッ」

 じわ、と鼻の頭に汗が浮いてきた。今が朝方で良かった。それも、まだ出勤前や通学前の人で賑わう時間の、ほんの少しの暇な時間で良かった。

「やっべぇ…なんだ、これ」

 ずるずるとレジの中でしゃがみ込んで、佐助は膝に額を押し付けた。顔が熱い。誰かに「行ってらっしゃい」なんて言ったのは何時振りだろうか――夜勤との交代の時間が迫る。佐助はそれまでずっと頭を抱えたいくらいの動悸に見舞われていった。
 それがまだ晩秋の出来事。
 このコンビニでバイトを始めて最初の年の、秋の終わりの出来事だった。










 今まで色んなバイトをしてきた。自分が苦学生とは言わないが、我侭で通わせて貰っているようなものだから、せめて生活費と小遣いくらいは自分で稼ぎたかった。

 ――厄介になっている身だし。

 佐助の両親は、まだ佐助が幼い時に死別れてしまった。これといった身寄りもなかった佐助に手を差し伸べてくれたのは、遠戚の武田信玄という御仁だった。

  ――儂の元に来い。

 そう言われたのを今でも覚えている。信玄の手を取って、彼の邸で生活して、高校を出たら直ぐに働くつもりだった。
 だが信玄は強く進学を勧めてきた。断ることも出来たが、佐助はそうはしなかった。進学を勧められた時の説得を思い出すと今でも笑いが出そうになる。

  ――大学に行け、どうしても出て行くというのなら、儂を倒してゆけ!

 就職することを、家から出たいという思いの表れだと受け取った信玄は、半ば熱く拳を振り回しながら佐助に言ってきた。

 ――流石に大将の拳は受けたくない。

 単純に言えば、佐助が家から居なくなるのが寂しいという、親心だったのだろう。それを思い出すと、どこかくすぐったい気持ちになる。
 それでも大学に進学して、さらに大学院まで行かせてもらえている現状に、引け目を感じない筈はない。だから始めたバイトだった。

 ――でも、働くのって楽しいんだよね。

 半分は大学、半分はバイト、そんな生活を始めてもう何年にもなる。色々とバイトも替えてみた。世の中にどんな仕事が転がっているのかを知るには、よい機会だったと思う。

 ―― それに、俺様これでも忙しい身だし。

 理系の学部に籍を置くものとして、やはり突然の実験や講義なんてことも日常茶飯事だ。これではおちおち遊んでも居られない。

 ――それでもバイトで、夜とか使えるのなら好都合。

 コンビニのバイトというのは、忙しい学生としても都合のよいものだった。なんて言っても時間の融通がきく。そんな理由で始めたバイトだった。
 ある程度、接客業をこなしてしまえるようになると、笑顔を作るのも仕事と割り切るようになる。無愛想な店員も多く居るものだが、どうせなら好感を持たれた方が良い。
 だがいちいち、客の顔を見ていると佐助のほうが参ってしまいそうになる。

 ――疲れた顔、そんなに何を疲れるのかな?

 朝の出勤時に栄養ドリンクを買う女性に。

 ――おいおい、おやっさん、飲みすぎでしょ?千鳥足になってるよ。

 夜の、日付も変わろうとしている時間の男性に。

 ――若いのは判るけど、判る言葉で喋ってよ。

 中学生か高校生か、自分より随分と齢若い少年達に。
 いちいち反応して、相手のバックラウンドを想像するだけで、楽しくもあるが疲れるものだった。そうして、そんな疲労を回避する為に、佐助はあまり客の顔を見ることを避けるようになっていた。
 それなのに。
 仕事にも慣れた晩秋――今まで一度もこのコンビニに来たことのない青年だった。だが一度来ると足しげく、毎日決まった時間帯に通ってくる。

「お弁当、温めますか?」
「うむ…よろしくお願い致す」

 こくりと頷く彼に思い切って聞いてみた。彼は佐助の後ろのチケット先行予約のポスターを見上げていた。

「あの…毎日団子で飽きないんですか?」
「――飽きない…な。好きなんだ」

 にこ、と微笑むと瞳がきらりと光る。ふっくらと頬が隆起するのが、少しばかり少年のようで好印象を受けた。佐助が次に口を開こうとすると、ちん、と電子レンジが音を立て、がさがさと袋に詰める。そして温まった弁当を彼に差し出すと、彼はにこりと微笑んだ。

「はい、お待たせ致しました」

 手が、ちょん、と触れ合う。その瞬間、佐助は思わず言っていた。少しだけ声が震えていたような気もするし、語尾が裏返っていたような気もする。

「いってらっしゃい」

 だが袋を受け取った彼は、きょとんと瞳を大きく見開いてから、こくりと頷いた。

「うむ!」

 元気に頷いて、そして手を振って店を後にする。その後ろ姿を見送りながら、佐助はずるずるとその場にしゃがみ込んだ。其処までしゃがみ込めば、外からは見えない位置だ。そして、はあ、と溜息をつくと抱えた膝に顎先を乗せて呟いていった。

「たまにはさ、いってきます、って言って欲しいなぁ」













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