誰に憚ることもなく じっと見つめてきた瞳が伏せられる。そして嘆息すると、幸村は大きく頷いた。 「佐助、仔細は判った」 「はいよ、じゃあ、俺様直ぐに…」 「近う」 「ごめんね、それは勘弁」 佐助は顔を上げずにそのままで嗤った。今彼に顔を上げてみせる訳には行かない。だからこの闇の中を選んだ。 どれだけの距離を走っても、まだこの身体からは死臭と血臭が拭い去れない。そのままで彼に近づくことは憚られた。 「近う、佐助」 「いくら幸村様のお言葉でも、俺様、聞きたくないのよ」 「聞け」 ぴし、と声を張り上げて幸村が命令した。だが佐助は顔を上げずにそのまま身体を固めた。 ――ぎし。 痺れを切らしたのか、幸村が立ち上がる。ぎしぎし、と床がきしんで音を立てていた。 「佐助」 幸村は、ふう、としゃがみこみながら溜息をついた。そして徐に手を伸ばして、佐助の顎先を掴み込むと、流れるような動きで顔を上げさせる。 「――――ッ」 この暗闇の中で己の顔が、今、幸村に映らなければいい――そう願うのに、そんな願いは木っ端微塵に吹き飛ばされる。 「お前、これほどに深い傷を得ているというのに」 「すみませんね…不覚を取りまして」 「さぞ、辛かったであろう」 しゅ、と幸村の懐から懐紙が取り出される。そして彼はそれをそっと佐助の額に当てた。 左の額から眉にかけて、大きく袈裟に斬られた傷は、今も乾くことなく血を滲ませていた。あわせてその怪我のせいで、顔の半分は腫れあがっている。 「みっともないったらないよね」 「男前の顔が台無しだ」 ふふ、と幸村が手を休めずに云う。どれ、と幸村が正面に座り込み、胡坐を掻くと佐助の頭を思い切り引っ張った。 ――ぐら。 幸村の腕の力で引き寄せられてバランスを崩し、彼の膝の上につんのめる。慌てて起き上がろうとするのに、幸村は上から佐助の頭を押し付けて起させなかった。 「旦那…、離して…――」 「お前、某が気付かぬとでも思ったか?」 「え…――」 ひょい、と額宛を外させて、口布も引き下げられていく。幸村が真上から覗き込み、そっと佐助の眼の下を指の腹でなでた。 「酷い、隈だ。どれだけ眠らず、どれだけ疾く走った?」 「そりゃ、お仕事ですから」 「俺が許す、だから眠れ」 「眠れないでしょ、余計に」 主の膝の上でなんて眠れるわけがない。それどころか、忍としての習性で熟睡など怖くて出来たものでもない。 佐助がまだ身体を起こそうとすると、幸村は目の前に拳をちらつかせた。 ――この人、実力行使も辞さないってか。 いう事を聞かなければ彼の鉄拳が降って来て、否応無しに眠らせられてしまうという寸法だ。 ――それは回避したいなぁ。 薄い望みを抱きながら佐助が、体重を幸村の腿に掛けると、彼はからからと嗤って見せた。 「何、俺が誰も来ないように見張ってやる」 「それ、俺様のお仕事よ?」 「大丈夫だ、佐助。少し、休め。な?」 「誰が見てるかも判らないってのに」 ぶつぶつ、と毒づきながら佐助が横を向く。思わず傷のあるほうを下にしてしまって、びりりとした痛みが走った。幸村はそんな佐助の様子を上から覗き込んで、にまにま、と口元に笑みを浮かべ続ける。 「俺のせいにすればいい」 「簡単に言わないでよね」 「誰に見られても構わぬわ」 「――どうして?」 涙目になりながら佐助が見上げる。すると、上から幸村の両手が佐助の頬を包んできた。 「俺はお前が愛しいからな」 ――大事にして何が悪い。 簡単に告げられた言葉に、呼吸を忘れた。幸村は其れだけを云うと、まるで猫でも撫でるかのように佐助の髪を指先に絡めていく。 「勘弁してよね…こんな時に」 「いつならいいのだ?」 「せめてこんな顔になっていない時とか…」 「いつでも云ってやる」 ふくく、と幸村は嬉しそうに告げていく。いつも純情そうに、朴念仁しか見えないのに、どうしてこんな時だけ男前なのだろう。 ――いつか一泡吹かせてやりたい。 佐助はそんな風に胸に誓いながら、取り合えず才蔵が来たら黙らせてね、と幸村に告げると、幸村は意気揚々として頷いていった。 了 091018 up |