誘う指





 館の中を歩きまわり、ひょこりと顔を出しては部屋を探っていく。だが目当ての人物は何処にも居なかった。

 ――おかしいな、今朝は居たと言うのに。

 ほんの半時ほど前には姿が見えていた。それなのに今はまったく姿が見えない。

 ――折角、小助が採ってきてくれたというのに。

 ふう、と溜息を吐きながら幸村は手にしていた籠の中身を見つめた。其処には紫色の鮮やかな果実が入っている。
 掌に収まる大きさの紫の果実は、ぱっくりと口を開けて、中の白い実を見せていた。

「甘かろうに…」

 透明に透けて見える実を、じっと見つめる。今すぐにでも齧り付きたい衝動に駆られながらも、出掛かった手を引っ込めた。

 ――いかん、いかん!これは一緒に食すのだ。

 だがじっと籠を見ていると、指先がふらふらと伸びかかっていく。だが幸村は指先を折り曲げて、出そうになる手を寸前で何度も引っ込めた。そして籠を抱えて再び人探しに専念していった。










 結局、彼を見つけられないまま日差しも傾いてきてしまった。遥かに高くなった空に、夏の終わりを感じ、朝夕の冷え込みにこれから訪れる季節を思う。

 ――少し、冷えてきたか。

 幸村は読んでいた書から顔を上げると、立ち上がり、庭に続く廊下に足を向けた。障子を閉めてしまえば幾分か冷え込みは抑えられる。
 まだ夕方にはなっていないが、じぃと動かずにいるとどうしても肌寒さが募る時期だ。

 ――さらさらさら…

 風が吹いて木の葉を揺らしていくと、微かに葉擦れの音がした。乱される髪を片手で押さえ、立ち上がる。
 すると音もなく背後から両手が、すう、と伸びてきた。避ける暇もなく、その手が、するり、と幸村の両の瞼を背後から覆い隠す――目隠しだ。

「たーだいま、だぁんなッ」
「これ、斯様な遊びなどするな」

 目隠しをされたまま、その手を掴んだ。ふわり、と彼――佐助の顎先が肩口に背後から当たる。幸村は目隠しをしている佐助の手首に両手を添えると、ゆっくりとそれを外し、肩越しに振り返った。

「あれ?なんかご機嫌斜め?」
「何処に行っておったのだ?」

 振り返ると、佐助は幸村の顔色を見て開口一番に小首を傾げて、口元をへの字に曲げた。そして斜め下から覗き込むように身体をかがめる――そうされると、反射的に俯いてから顔を背けてしまう自分がいる。

 ――悪気もないのだろうな。勝手に某が探していただけだし。

 だが聞かずには居られない。もう一度、幸村は上目遣いになりながら「何処に?」と訊いた。しかし誤魔化すように佐助は口元を吊り上げるだけだ。

「どこでも良いじゃない?」
「――――…ッ」

 ますます幸村がムッとして表情を硬くする。
 だが構わずに佐助は幸村の目の前に、掌を差し出してくる――人差し指と親指で摘み上げた先に、ぶら下っているのは濃紺の果実だ。

「ふふふ〜、お土産だよ」

 ――何だか解るよね?

 渡されるままに両手を差し出すと、その上にすとんと一房の濃紺の果実が下ろされる。少し潰れた実から、濃い、赤紫の汁が滲んでいた。

 ――もう成る季節か。

「山葡萄…」
「そ。まだ少し酸っぱいかも。でも初物でしょ?」

 ――食べさせたくてさ。

 ふふ、と佐助が口の中で笑う。釣られて幸村もまた微笑んでいた。
 ほろほろ、と小さな粒が今にも零れ落ちそうになっている。佐助が腰にくくりつけていた手ぬぐいを外すと、その中には沢山の山葡萄が入っていた。










 佐助が獲って来た山葡萄を膝の上に乗せて、その粒をもぎ取りながら口へと運んでいく。少しだけ甘酸っぱい味が、じゅわ、と粒から染み出してきて咽喉を潤していく。
 隣にいる佐助も同様に、口元をもそもそと動かしながら、庭に向かって二人で並んで座る。

「どうだ?甘かろう?」
「ん、これかなり熟れてるねぇ。美味しい」

 もそもそ、と口元を動かす佐助が手にしているのは、幸村が小助に採ってきてもらった実――アケビだ。
 ぱっくりと開いた口からは、白い透明の果実が見えている。中には丸い黒い種がびっしり入っているので、口の中で種を選り分けなければならない。
 佐助は口元に片手で舟を作ると、その中に種を落としていく。その瞬間に舌先がちらりと見えた――何故か幸村は気恥ずかしさを覚えて、視線をずらした。

 ――なんだか、佐助の仕種は綺麗過ぎて…戸惑う。

 目のやり場に困って視線を逸らしながら――それを誤魔化すように、手元の山葡萄を立て続けに口元に運んでいった。
 だがそんな幸村に構わずに、佐助は果汁に濡れた自分の指先を、ぺろ、と舐めた。そしてふと隣で山葡萄を貪る幸村に視線を向けたかと思うと、急に佐助は切れ長の瞳を少しだけ見開いて、そして次の瞬間には破顔した。

「ぷ…――っ、ははは」
「――――?」

 急に笑い出した佐助に手を止めて首を廻らせる。すると、すい、と佐助の指先が伸びてきて幸村のほうへと人差し指が迫ってきた。

 ――ふ。

 人差し指が――忍にしては綺麗な、整った指先が、幸村の口唇に触れる。

「旦那、紅、注したみたい」
「む、そうか?」

 むず、と唇を動かすと、佐助の指先が下唇を撫でるように、横にするりと動いていく。佐助の指の動きを目で追っていると、そのままその指――手は彼の頬に宛がわれていった。

「かーわいいねぇ…」

 幸村の視線の先に、薄い――幸村よりは薄い唇を、弓形に笑んでいる佐助がいる。楽しそうに、じっと此方を見つめて微笑んでいる彼に、ふと手元の山葡萄を見下ろす。そして徐に山葡萄から一粒もぎ取ると、くるりと佐助の方へと向けた。

「――…佐助」
「うん?」

 ――べちゃ

 粒を押しつぶしながら、佐助の唇に押し当てる――すると、一瞬驚いたように瞳を見開いた佐助が、次の瞬間幸村の指先を噛みそうな勢いで声を張り上げた。

「ちょ…何するのさッ?」
「ふむ…紅ならば、佐助の方が似合うな」
「え…――」
「某より、お前の方がよう似合う。綺麗なものだ」

 指先を赤色に染めて、ふふふ、と笑うと、目の前の佐助は怒る気をそがれたのか、へなへな、と上体を屈めた。そして両手で顔を覆う。

 ――綺麗な指、だな。

 顔に添えられた指は、細く――関節が節張っているが、すらりと伸びている。爪のあたりなど、女の爪のように――貝のような爪がそこにある。
 だがよくよく見れば、傷跡も無数にあるのを幸村は知っている。
 佐助は指を少し広げて、その合間から幸村に視線を向けてきた。微かに彼の頬が赤くなっているかのように見えた。

「――そういう事云うの?」
「うん?」

 佐助の指が、はらはら、と動いて幸村の膝もとの葡萄に向かう。人指し指と親指で、小さな山葡萄の実を摘んでいく。

「――――…」

 幸村が佐助の指の動きを目で追っていると、そ、と幸村の口に山葡萄が押し当てられた。幸村は躊躇うことなく、薄く口元を開く。そうすると、それを待っていたかのように、くい、と山葡萄の粒が口の中に押し込められた。

 ――甘酸っぱい。

 くい、と小さな粒が押されると、唇に佐助の指の腹が触れる。まるで口付けている時のような柔らかさに、思わずとろりと融けそうになった。そのまま彼の指先毎、口内に引き入れてしまいたくなってくる。

 ――とん。

 佐助の指が、名残惜しくなっている幸村の唇から離れていく。すると佐助は今、幸村の唇に添えていた指先を自分の口元に引き寄せて、指先についた果汁を、ぺろ、と舐めた。

 ――うん、甘酸っぱいね。

「旦那、食指って知ってる?」
「食指?」

 幸村が聞き返すと、佐助は幸村の目の前に掌を広げ、人差し指をもう片方の手で指し示した。

「食指ってさ…この指、人差し指のことなんだって」
「――――…?」
「食べる指のこと。なんかやらしいよね」

 言いながら再び佐助は幸村の膝の上から山葡萄を摘み上げた。そして幸村の口元に持ってくる。
その小さな紫色の粒を見つめると、はい、と促がしてくる。口を素直に開けて、それを食むと再び彼の指先が離れそうになる。

 ――ぺろ

「――…ッ、旦那?」

 離れそうになった佐助の指を舌先で舐め、そのまま口内に引き寄せる。すると佐助が、びくり、と肩を揺らした。
 ちら、と佐助を仰ぎ見てから、口を開いて舌先の上に彼の人差し指を乗せる。引っ込められそうになる指先を離すまいと、彼の手首を掴んだ。

「っ、ん…――ちょ、旦那?どうし…」

 ――じゅ、ちゅる…

 舌先を使っていくと、唾液で濡れた音が響いてくる。

「わ…、ちょっと、旦那?」

 逃げ腰になっていく佐助を逃さないように、幸村は身体を寄せた。は、は、と息を継ぎながら佐助の指を――爪先から、ゆっくりと指の腹へ、そして付け根へと舌先を動かしていく。
 佐助は舐められている手と反対の手で、口元を覆いながら幸村の表情を見つめていく。時折、佐助の身体がびくりと揺れるのが何故か嬉しくて、幸村は夢中になって舐めていた。

 ――甘酸っぱい。何処も、彼処も…

 見せ付けるようにして指先を舐め、身体を動かすと佐助の上に乗りかかる。ゆっくりと身体を倒していく間、膝の上から山葡萄の房がひとつ転げ落ちた。

「ん…――ぅ、ん」
「ね、そろそろ指、離して」
「…佐助…――、っ」
「――どうしたの、何に欲情したのよ?旦那」

 佐助が頬を上気させて、乗り上げる幸村を見上げてくる。佐助の腹の上に乗り上げて組み敷いていると、佐助の手が下から伸ばされてきて、そっと幸村の頬を撫でた――幸村はその掌に擦り寄るようにして顔を寄せると、顔を寄せて掌に口付ける。すると佐助は楽しそうに、ふふ、と微笑んだ。

「食指、なのだろう?」
「うん?」

 肘を折って、佐助の鼻先に顔を近づける。組み敷いた佐助の髪が――床に茜色に広がる。彼の緑色に光る瞳をじっと見据えてから、額に自分の額を寄せた。

「お前が誘うから…食べる指ならば、俺を食べてしまえばいい」
「誘ってるのはどっちだよ?」

 ぎゅう、と腰に佐助の手が回ってくる。その手に誘われるように、そっと顔を近づけていくと唇が触れ合う。角度を変えて、何度も重ね合わせていくと、どんどん口付けは深くなっていった。

 ――さて、これからどうしよう。

 幸村は上に乗り上げたままで、佐助に抱きしめられて、思わず思案した。口付けでさえも蕩けそうになりながら、肌寒くなった秋の気配に、彼の温もりを求めてしまいたい。

 ――だけど、この状況で…どうしよう。

 佐助を組み敷くことなど、鍛錬以外ではほぼ有り得ない。どう行動に出ればいいのか判らない――それに、口付けでまともに思考が働かない。

 ――ちゅう…

 絡めた舌先を強く吸い上げながら、離れていく瞬間に再び佐助が笑った。

「旦那ぁ、舌先真っ赤だよ?」
「う、煩いッ」

 顔を離した瞬間、佐助が笑いながら腕を強く引いた。思案している間に、ころりと体勢を入れ替えられる。そして、再び唇を重ねていく――視線が絡まる、指先が肌に触れていく、その繰り返しに徐々に肌が熱くなっていった。

「佐助…もっと、近くに」
「うん?どうしたの、甘えて」

 さらり、と外の空気が入り込んで肌に触れる。その涼やかさが、より一層温もりを求めさせていく。
 幸村はゆっくりと彼に腕を伸ばし、その首に腕を絡ませた。そして指先を動かして、つい、と首筋に触れさせると、誘わないで、と佐助が吐息の合間に笑っていった。
 二人の唇は、秋の甘酸っぱい味がしていた――涼しくなる空気の中で、二人はそのまま何度も唇を重ねていった。










 →おまけ(※R18です※)





090911/090920 up 雨毎様への捧げ物です。