SLEEPER,WAKE UP



 ――寝顔を見せてよ



 佐助の寝ている姿を見たことは無かった。
 いつも自分が起きる前に彼は起きていて、寝るまで彼は先に寝たりもしなかった。いつ寝ているのかと気になることもあったが、佐助に言わせると「寝ている姿なんて見られたら堪ったものじゃない」と一笑に付されてしまった。

 ――寝首掻くのがお仕事、寝首をかかれちゃ堪ったものじゃないからね。

だから殆ど寝ていないとも言っていた。










 夜半に差し掛かる時間――静かに夜の帳が下りる頃に目を覚ますと、鼻先に嗅ぎなれない香りが漂ってきた。

「あ、起しちゃった?ごめんね、煙かったかな」
「いや…煙管か…――政宗殿がよく呑んでいる…」

 身体を起こしながら――目を擦りながら言うと、縁側に座ったままの佐助が肩越しに振り返って、ふぅ、と紫煙を吐き出した。

「ふふ…あれは普通のだよ」
「普通の?」
「これは忍用。癖が強いと思うから、酔わないでね」

 瞳を眇めながら煙管を、ふわり、と口元から引き剥がして佐助は庭にむけて煙をくゆらせていく。幸村は傍らにあった羽織を肩にひっかけると、ぺたり、と床の上を歩きながら佐助の元にいく。彼の傍で膝を折ると、佐助の手が伸びてきて顎先を掴む。

 ――ふぅ。

 流れるような動きで唇を吸われる。触れ合った先の、彼の唇から痺れるような感覚が伝わってくる。香りが増して、目の前が回るようだった。
 幸村が唇を離してから、自分の口元を指先で触れて眉を引き結ぶと、佐助は咽喉を鳴らして――にやにやしながら幸村の動向を窺っていた。

「――…変な味だ」
「――あまり、身体には良くないかな。感覚が麻痺する」
「それでは…」

 身を乗り出して幸村がやめさせようとする。手を伸ばした先の煙管を取り上げようとすると、佐助はひょいと幸村から届かないように腕を上げてしまった。そして自分の口元に引き寄せると、深く吸い込む。

 ――すぃ。

 ふ、と一気に紫煙を吐き出してから佐助が、ふくく、と咽喉の奥で笑った。

「それくらいが調度良いんだ。俺達忍はさ、感覚を鋭利にしているから…鋭利にしすぎて、普通が解らなくなるから。だから…」

 ――普通に戻る為に、麻痺するくらいが調度良い。

「そうじゃなきゃ、寝ることすら出来ないから」
「佐助…――」

 煙管を指に挟んで、佐助は自分の膝を使って頬杖をつくと、瞳を眇めて見せた。

「たぶんさ、旦那と抱き合って、一緒に眠れたら、それはとても気持ち良いんだろうけれど」
「――…」

 とん、と佐助が近くにあった煙草箱に灰を落として片付ける。そして指先を伸ばして幸村の指に絡ませた。絡ませた指先をそのまま佐助の口元に引き寄せられる。

「俺はあんたの寝顔しか見れないから」
 ――夢なんて見れないから。

 ちゅ、と指先に佐助の唇が触れる。触れて、離れて、繰り返し絡ませて――強く押し込まれてその場に仰向けに倒れこむと、彼の手が目元に下りてきた。

 ――おやすみ、旦那。

 優しく告げてくる佐助の手からは、強い煙草の匂いがしていた。それがやたらと悲しい香りのように思えてならない。

「俺ね、旦那の寝顔が好きだよ。大好き。安らぎ、そのものだと思う」

 耳に優しく聞こえてくる佐助の声――その声に酔いながら眠りに落ちる。

「起したくなくても、俺はいつでも旦那を起さないとね」
 ――寝坊は赦さないよ。

 世話女房のような台詞をはく彼に毒づきたくなる。だが、それも侭ならない。佐助の声はいつでも心地よく眠りに落としてくれるものだった。










「起きてよ、旦那」
「…――?」

 遠くから声が聞こえる。何度も何度も自分のことを呼ぶ声だ。その声がどんどん頼りなくなって、まるで幼子が心細くて泣くような声に聞こえてきた。

「起きて、俺を…――俺様の名前を呼んで」

 ぎゅ、と手に硬い感触が触れる。それが佐助の鉤爪だと気付くには、視界が全て広がるまで時間を要した。そして胸に佐助が顔を突っ伏して、必死に自分のことを呼んでいた。

「さすけ…――」
「…――ぁ、」

 がば、と佐助が顔を上げる。その表情に涙は無いが、頼りなげに下がった眉が、いつもの彼らしくない。手を伸ばして佐助の頭を引き寄せる。そして彼の名前を紡いだ。

「さ、す、け……――佐助」
「――…ッ」
「どうしたのだ、一体…――何、が」

 ひく、と佐助の咽喉が引きつれる。それを見上げて、空が視界に広がった。紅く染まった空に、カラスが羽ばたいていく。

 ――戦場、か。

 嗅ぎなれた臭気に、焼けた空にそう感じる。のそりと身体を起こすと傍らで佐助が、顔をくしゃくしゃに歪めていた。ずきり、と痛みがそれと同時に起こる。見下ろせば自分のむき出しの腹に、手当てを施した痕があった。

「良かった。良かったよ…このまま眠って起きないかと」
「寝坊は、赦さないのだろう?」

 ころん、と頭を佐助の胸に預ける。そして彼にしがみ付く。そうすると佐助が幸村の肩口に額を押し付けて抱きしめてきた。

「――ぅん、寝坊は駄目だよ」
「俺を起すのは、いつもお前の声だ。俺を眠らせるのも…」

 そうだね、と佐助が応える。それを聞きながら、幸村は深く息を吐くと紅く染まる空を見上げて、再び手に槍を握った。















Date:2009.08.19.Wed.17:24