鬼ごっこ からん、と皿の上にいくつか目の串が置かれた。その串の二本前あたりから、幸村は咀嚼している間に少しだけ口の端を歪める。 そんな仕種を見咎めて、佐助は食べ終わった幸村の顎先に手を添えて上を向かせる。 「口開けて、旦那」 「厭だ」 「なーんで?」 「――…」 ぷい、と幸村は口を真一文字に引き結んで、そっぽを向いてしまう。更に佐助の手を払いのけてしまう。幸村の仕種に、むっとして佐助が膝を寄せる。 「子どもじゃないんだから」 「厭なものは厭だ」 更に幸村はつんと鼻先をむけて拒否する。佐助のほうを観ないようにしているのが手に取るように解った。 ――何を怖気づいているんだか。 素直にならない幸村に苛立って佐助は、深い溜息をついてみせた。知らず物言いもそっけなくなる。 「放っておいたら大変なことになるでしょ?それよりも痛いこと、よくやってるじゃない。一瞬だよ?」 佐助に突き放すように言われて、幸村がぐぐぐと拳を握りこむ。葛藤している間はいいのだ――思い立って、此方に口を開いて見せてくれるだけでいい。 ――もう一押し。 佐助がそう思って口を開きかけると、幸村はすっくと立ち上がって、止める間もなく脱兎のごとくに走り出した。 「――済まぬ、佐助ッ。赦せッ!」 「あッ、ちょ、旦那?」 佐助が止める間もなく、幸村は逃げ出した。物凄い勢いで、佐助が彼を止めようと伸ばした手は虚空を切るだけだった。しかも最後の「赦せ」は残響だけだ。 佐助はぽつんと縁側に取り残される。そして虚空を切った手を自身の頭に寄せると、かしかし、と掻いてみた。 「あーあ…、逃げちゃった。ま、逃げられたら」 言い様に佐助は立ち上がる。そして口元に、にやり、と笑みを浮かべると、足に力を込めて屈みこむ。 「あとは、捕まえるだけだよね」 言うや否や、駆け出して行く。彼を捕まえる為に、この足に疾風に変えて走りこんでいった。 邸の中で弁丸の姿が見えないと皆が騒いでいた。佐助はそんな彼らを横目で見ながら、獲って来た鳥を絞めると、家人に渡していく。そして一仕事終えたとばかりに伸びをしてから、ゆったりと森の中に入り込んでいった。 「弁丸様?弁丸様―?」 口の横に手を添えて呼びかける。がさがさ、と木立の間を掻き分けていくと、小さな塊が観えた。佐助は、弁丸様、と声をかけてその塊に近づく。すると、兵児帯が揺らいで、前歯のかけた少年が振り返った。 「しゃすけ」 「居た、居た。どうしたの、こんな所で」 前歯が抜けてしまっていたので、発音がしずらいらしい。舌足らずな発音に、ふふ、と笑いながら近づき、身を屈めて見る。 弁丸の手は泥に染まっていたが、それでも地面を、ぺんぺん、と叩いている。 「埋めていたのだ」 「何を?」 よいしょ、と疲れた大人のように声をかけてしゃがみ込む。すると同じ目線になった弁丸が、自分の口元を指差した。 「俺の、歯だ」 「歯?なんでまた?」 佐助が自分の膝に肘をついて頬杖をする。彼の仕種を覗き込んでいると、弁丸は一生懸命に、ぽんぽん、と土を叩いて均しながら話していく。 「こうして上の歯が抜けたら、地面に埋めると真っ直ぐ伸びるのだ」 「じゃあ、下の歯は?」 土を均す手をやめて、弁丸は大きな葡萄のような瞳を空に向けた。それに習って佐助も空を仰ぐ。 「空に向かって投げる」 「へぇ〜…」 感心しながら佐助が頷くと、埋め終わったのか、ごしごし、と鼻の辺りを擦りながら弁丸は立ち上がった。立ち上がっても、しゃがみ込んだ佐助と然程目線は変わらない。 佐助が「あーん」と言ってみせると、弁丸は素直に口を開いた。 「どれどれ。あ…――小さな、歯のややこがいるね」 「うん?」 口をあけた弁丸の前歯――その歯茎に近いところに、小さな白い歯がある。あまりに小さくて可愛いものだから、佐助は思わず指先でその歯に触れていた。 「かわいいねぇ」 ――ばく。 しみじみと云うと、弁丸が佐助の指を咥えてしまう。前歯を触っていたせいで――口を大きく開けていたせいで顎が疲れたのだろう。だが佐助の指に食らいついているかのような彼に、苦笑しか浮かばなかった。 「弁丸様、俺の指食べちゃ駄目よ?」 「ひゃって、しゃすけが、指、離してくれないから」 もごもご、と口の中で弁丸が話す。佐助は彼の口から指先を引き抜きながら、あはは、と声を上げて笑った。 「ごめんごめん。さて弁丸様、邸に戻ろっか?」 「うむ」 こくん、と素直に頷く弁丸を、ひょいと肩に乗せていくと、彼はきゃっきゃと喜んで行った。 走っているものを捕まえるのは意外と得意だったりする。ひらり、と翻る幸村の髪をすり抜けて、その肩に手を伸ばす。肩越しに、しまった、と苦く顔をゆがめた彼の手を、さらり、と引くとその場に組み伏せた。 ――ぐん。 「つーかまえたッ!」 ――鬼ごっこは終わり。 佐助が片腕を引っ張って地面に彼を押し付けながら――拘束しながら嗤うと、幸村は往生際悪くも、じたばた、と手足を動かす。 ふうふう、と身体全体で抵抗している彼を、いちいち羽交い絞めにして押さえつけていく。 「赦せ、佐助ッ!後生だ」 「駄ぁ目」 幸村は半ば涙目になりながら訴える。だがそんな風に拒まれると、逆に責めて行きたくなるというものだ。 ――狩に似ているよね。 胸内でそんな風に思うが、幸村は逃れる為に必死だった。 「何でもするからッ」 ぽん、と出た言葉に、佐助がぴたりと動きを止めて反応する。 「いいねぇ…――ホントに?何でもする?」 「する、するから…ッ」 逃げられると思ったのだろう――幸村は何度も頷いて、胸の上に乗り上げている佐助を見上げてくる。 そして佐助は、幸村を見下ろしながら、にっこり、と嗤ってみせた。 「じゃあ、口開けて。覚悟してね」 「なッ――ッ!」 ――ぴん。 勢い良く佐助の手が動く――目の前に、糸を張った佐助が、微笑みながら幸村の口に手を突っ込んでいった。 後には、断末魔のような幸村の悲鳴が轟いていった。 「いい加減、機嫌直してよねぇ」 「――酷いではないか」 ぷい、と横を向いて幸村がむくれる。数日前に佐助によって歯を引き抜かれた後、暫くは頬が腫れていたが、今はもう腫れも引いていた。 「酷くないって。親知らず、腫れてたでしょ?取ったほうが良いんだって」 ――こっち向いて。 「でも…――、…ん」 ――ちゅ。 あまりに強情に言うので、顎先を掴んで口付けた。そして口の中に舌先を突き入れ、奥歯に触れる。すると幸村は絡めていた舌を離して引っ込めていく。 「――――…ッ」 ぴく、と反応する幸村から、唇を離して正面から微笑む。 「ほら、もう腫れてないし。痛くないでしょ?」 「痛くない…けれど、その…――」 「何?」 頬を包み込んで此方に向かせると、視線だけを横に流して困ったように眉根を寄せた。 「其処ばかり舐めるのは止めてくれ」 「いいじゃない。ねぇ、旦那。また俺から逃げたりしないでね」 「うん?」 肩を引き寄せて、幸村のこめかみに口付ける。すると、幸村は手を伸ばして佐助の耳をひぱった。 くすくす、と咽喉の奥で笑いながら、彼の背に腕を回して引き寄せる。そしてその耳朶に息を吹き込むようにして囁いていく。 「逃げたら、俺様、鬼になって追っかけていくから」 ――何処にいても、見つけるから。 そういうと、幸村は少しだけ俯いて頷いた。だがその耳朶が赤く染まっているのを観て、佐助はただ嗤うだけだった。 了 090731 |