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 いつも佐助は自分を大事にしすぎる――そんな風に思いながらも、その甘さに浸ってしまっていることに慣れてしまっていた。
 幼い頃から傍に居て、彼の優しさに触れてきたが、時折その優しさが本当のものなのか疑わしくさえ思ってしまう。

 ――もっと求めてくれていいのに。

 そんな風に思うのだが、それをうまく伝える術が見つからない。

「さて、ちょっと遠出してきますよ」

 寝支度を整えて、髪を梳いて貰っていると佐助が明るく言った。女子では在るまいし、髪など梳かなくても問題ないと思うのだが、寝るときには必ず彼は幸村の髪を梳いていた。
そして、ことん、と櫛を置くと一度伸びをして言ったのだ。

「――…何処まで?」
「それは秘密」

 口唇の前で人差し指を立てて、佐助が笑う。どれくらい時間が掛かるのかを聞いても、行ってみないと解らない、と佐助は言った。

 ――いつもこの笑顔に誤魔化されてしまう。

 もし彼が窮地に陥ったとしても、自分の前では笑顔を見せて誤魔化してしまうだろう。誤魔化すというより、自分に心配をかけたくないのはよく解っている。

 ――だが、俺だって。

 少なからず想っているのに、いつまでもこんな風に押し流されるのはいただけない。幸村は佐助を呼び止めた。

「佐助」

 ――ちゃら…

 呼び止めると、佐助が振り向く。彼の前で首にかけた六文銭に手をかけ、するりと首から外した。途中で顎や鼻に引っかかったので、引きちぎってしまう。

「え、ちょっと…どうしたの、旦那」

 首にかけた六文銭――それを外したのを観てさすがの佐助も慌てた。どうしちゃったの、と聞く彼の目の前で六文を数え、そして一文を手にとり掌に滑らせると握りこみ、ずい、と佐助の鼻先につきつけた。

「持って行け」
「――――…?」

 佐助は状況が飲み込めず、差し出された拳を受け取る。そして佐助の掌に、一文が乗る。彼はそれをまじまじと眺めてから、幸村のほうに視線を流した。

「それが無ければ、某は河を渡れぬ」
「俺様がいない間に死ぬようなことするの?」

 瞬時に佐助の眉根がよって、険しい顔つきになる。先程までの軽やかな口調とは真逆に、低く様子を窺うような声音になった。

「――今ではない」
「だったら」
 ――なんで、そんな事を?

 佐助のいない間に戦がある訳ではない。幸村自身が生死をかけて戦う訳でもない。それなのに、六文銭の一つを渡すなどと――しかもまるで遺言のようなことを告げられる。その理由を佐助は請うてきた。

 ――解ってほしい。

 小さく幸村が呟いた言葉も、耳の良い佐助には聞こえているだろう。幸村の言葉を待って、佐助は真剣な眼差しを向けている。
 幸村は一文を手にしている彼の手を、両手で包み込むと息を吸い込んだ。

「某の命運はお前に」
「――…ッ」
「お前に託す」

 がた、と佐助の肩が揺れた。そして何かを言おうと佐助の口が動きかける。それを阻むように幸村は語調を強めた。

「だから早く、生きて戻れ」
 ――お前を案じているから。

 佐助の手を握り締めながら、彼の肩口に額を押し付ける。すると佐助は幸村を引き寄せて頷いた。

「了解」

 そして幸村の肩を押しのけると、行ってくるね、とやはり佐助は笑っていった。










 佐助が任務についてから二週間が過ぎた。何処まで行っているのか気になって、他の忍隊の者たちに聞くが、やはり彼らも忍とあって簡単には口を開かない。信玄に聞いてみればとも想うが、皆に明かさないのに自分に明かしてくれる筈も無かった。
 お陰で日を追うごとに、居ないことに慣れるのではなく、そわそわと帰りを待ってしまう自分が居た。

 ――かたん。

「佐助?」

 小さな物音がすると、彼が戻ってきたのかと身体が反応する。だが障子を開けてみても、庭先に出ても彼の姿はなく、溜息しか出てこない。

「今頃、何処におるのだ…佐助」

 幸村は縁側に座り込み、膝を抱えた。二週間といえど、彼が傍にいないのが居心地悪い。常日頃から一緒と云うわけでもないが、こうも存在自体が感じられないのは、慣れなくて参ってしまう。

「早く、戻って来い、佐助…お前に触れたい」

 ふと口にしてから、ハッとする。あたりを見回して誰も居ないことに今度は胸を撫で下ろした。

 ――どうしてしまったのだろう、俺は…

 ふう、と溜息を付きながら足を動かして胡坐を掻く。以前は佐助の不在でもこんな風になったことは無い。
 ちゃら、と首にかけている六文銭――今はひとつ足りないが、それを手にして弄ぶ。
 いつもなら鍛錬に勤しんだり、茶菓子に舌鼓を打ったりと、日々が目まぐるしく移ろうものだ。それなのに、なかなかやる気までもが削がれて、色あせてしまっている。

「お前がいないと、つまらないものだなぁ…」

 誰も聞いていないのを良いことに、幸村は心の底から退屈そうに呟いていく。

 ――カァ、カァ…

 空に鴉が啼きだしても、その行く筋を目で追って、夕暮れの中でただじっと庭を眺めて溜息ばかりついていった。










 その日は夜から雨が降り出し、雨戸を閉める音が邸内に響いていく。幸村はそれを聞きながら、静かに自室の雨戸を閉め――ほんの少しだけ隙間をあけておいた。
 床についてみても、しとしと、と雨音が響き、子守唄のように耳に響く。何度か寝返りを打つと幸村は静かに眠りに落ちていった。

 ――ただいま、一応、顔観に来たよ。

 小さな呟きのような声が聞こえる。そして、柔らかい感触が額に触れた。

 ――よく眠ってるね、旦那。明日、また来るから。

 囁きのように響く声が、雨音に混じっていく。起きなくては、と想うのにその声がやたらと気持ちよく、深い眠りの底に落ち込んでしまいそうになる。

 ――あ、でも雨戸、しっかり閉めとかないと駄目だよ?

 雨が吹き込むから、と声が笑う。その雨戸は佐助が来た時に解るようにと、開けておいたのだ、と言い返したかった。幸村は心地よく沈み込みそうになっていくのに抵抗し、腕を伸ばした。

 ――がし。

 手に何かを掴んだ――そう感じたら一気に覚醒していく。幸村は重くなっていた瞼を、ぱちぱちと瞬いて瞼を押し上げた。
 すると目の前で驚いた顔の佐助が其処にいた。

「ええぇ?何で起きれるの、旦那ァ」
 ――俺様、今術かけたばっかりよ?

 参ったな、と額を押さえた佐助が其処にいた。そして幸村が掴んだと思ったものは、彼の足首だった。

「佐助…――ッ」

 目の前に佐助がいる――それを認識した瞬間、幸村は飛び起きて彼の懐に飛び込んでいた。

「わぁぁ、あ、だッ!」
「佐助、よう戻ったッ」

 懐に飛び込んだ幸村を受け止め、そのまま佐助が後方に倒れこむ。その時に後頭部を打ち付けたようで、眉根が顰められたが幸村は構わずしがみ付いていく。

 ――た、ただいま…

 改めて佐助が帰還の言葉を述べる。何があったのか、今まで何処にいたのか、聞きたいことは山ほどあるのに、佐助の笑顔を見たらそれも吹き飛んでしまった。
 さら、と肩から自分の長い髪が滝のように流れ、佐助の胸元に波紋が出来る。
 幸村は佐助に乗り上げながら、彼の額宛を外し、顔を良く見せろ、とせがんで行く。すると佐助の手が伸びてきて幸村の頬を引き寄せた。

「どうしたの、性急じゃない?」
「お前が遅いから…であろうが」

 言うや否や、言葉を飲み込むようにして引き寄せられる。触れるだけの口付けの後には、深く互いを味わうように重ねていく。そのまま角度を変えながら口唇を合わせていくと、ぷは、と佐助が急に顔の向きを変えて唇を離した。

「あ…――ごめん、旦那ぁ、もう駄目。離れて」
「どうしたのだ?」
「いや…――言うのも恥ずかしいんだけど」
「――…?」

 よいしょ、と佐助は掛け声をかけながら、半身を腹筋だけで起こす。佐助は視線を反らしながら幸村の肩を押して身体を離した。そして言いにくそうに頬を指先で掻く。

「不覚取っちゃってさ、俺様今盛ってんの」
「な…――ッ?」

 ――盛ってる。

 さらりと言われた言葉に、かあ、と一気に頭に血が上る。それだけで思考が停止しそうになってしまうが、佐助は構わず先を続けた。

「うーんとね、今回は潜入捜査だったんだけど、帰り際にさ、催淫剤食らっちゃって」
「――…ッ」
「だから、今旦那に触れたら酷いことしそうで」

 ――だから御免、触らないで。

 ごめんね、と佐助が徐々に幸村から身体を離して行く。ずりずりと足で後方に動きながら距離を離して行く佐助は、幸村から視線を逸らして直視しようとしない。

「だから本当は顔見て明日、薬が抜けてからにしようかと…」
「それでも逢いにきてくれたのだろう?」
「うん、だって俺様、旦那に逢いたくて、逢いたくて、もう気が狂いそうでさ」

 へにゃ、と彼の眉がはの字に下がる。
 幸村は佐助に逢いたいとずっと思っていた。そして彼もまた自分のことを思ってくれていた。そのことが嬉しくて、かぁ、と身体が熱くなってくる。だが佐助はそのまま姿を消そうと立ち上がりかけた。

 ――がし。

「うわっ」

 引きとめようとして、また彼の足首を掴んでしまう。すると佐助は盛大にその場に倒れこんだ。

「勘弁してよ、もう…――ッ」
「某でよければ…相手になるが」

 怒り出した佐助に、ずい、と膝をつめて詰め寄る。そして彼の肩を押して上に乗り上げると、自分で夜着を肩から滑らせていく。

「ちょ…駄目、そんな…――」
 ――思い直した方がいいって。

 佐助が戸惑いながら幸村を押しのけようとする。だが幸村はそれを許さずに、上半身をぐっと折り込むと佐助の首筋に噛み付いた。

「佐助は、某を買いかぶってる」
「え?」
「俺だって男子だ…それなりには」

 言いながらも身体が熱くなってくる。照れの方が先にたってしまって、言いよどみそうになるが、先を佐助にとられてしまう。

「はは、興味あるんだ?」

 敷き込まれたままで佐助が嗤う。だが次の瞬間、彼の手に両手首を掴まれ、後方に身体を引き倒されていた。

「でも、ホント、俺はね、大切にしたいんだけど」
 ――駄目みたい。

 背中に布団の感触を感じながら、今度は自分が敷きこまれていく。静かに触れてきた唇と、膝を割って入り込んでくる彼の身体に、幸村は腕を回して背を掻き抱いていった。










 佐助の腰に絡めていた足を、ばた、と床に落とすと、上下に激しく揺れる胸に彼が吸い付いてきた。左の乳首を唇で挟んで強く吸い上げる。

「んん…――」

 達したばかりで何処も彼処もまだ敏感な身体が、少しの刺激で跳ね上がる。舌先で舐られながら、もう片方は指先で押しつぶすようにして弄られる。

「――は、ぁん……っ、んッ」
「まだ、大丈夫?もう三回目なんだけど…」
「は…は…、だ、大丈夫だ…」

 少し控えめに佐助が聞いてくる。いつもならこんなに続けて身体を重ねる事など無い。やはり薬の影響としかいえないが、溺れていくようで怖いような、酔っているような感覚に、うまく思考を動かせなくなっていく。

 ――ちゅ、じゅっ、

 濡れた胸元で話されると吐息が触れて、びく、と身体が揺れた。些細な刺激にも敏感になって仕方ない。

「――っく、ぅん」

 そうしている間にも、彼自身が後孔から引き抜かれていく。同時に、ごぽ、と濡れた音が毀れた。つう、と精液が毀れて臀部に流れてくるのが気持ち悪い――生暖かい感触に眉根を引き絞って耐えていると、ひょい、と片足を持ち上げられた。

「後ろ向いて」
「え…――、ぁ」

 ――ぐい

 言われたように腰を捻って佐助に背面を見せると、背中にぴったりと彼の胸の感触が触れてくる。

 ――汗ばんでいるなんて、珍しい。

 触れてくる彼の胸が熱く、しっとりとしていた。ぼんやりとそんな風に思いながら腕を突っ張ると、つつ、と背骨に沿って腰まで舌先が滑っていく。

「ぅ、ん……――」
「ねぇ、旦那はここ気持ちいい?」

 くるり、と肩甲骨の間に指先が触れる。ぞくり、と戦慄が走り背中がしなると、快いみたいだね、と掠れた佐助の声が耳朶に響いた。

「こうやって後ろからするの、あんまり無いから…いいね」

 ――ぬ、ぬく、ぐちゅ、

 言いながらも佐助は臀部に指先を滑らせると、押し開くようにして動かし、後孔に指を挿し込んでくる。先程から受け入れていた場所は、容易に解れて濡れた音を立てていた。
 指が二本入ってきて、内壁を擦っていく。く、と指先を曲げた処に触れられて、びり、と戦慄が走った。

「は、は…――あぅ、そこ…や、ぁ」

 びくびく、と身体が跳ねる。声が掠れて懇願しているように響く。羞恥で死にそうになりながらも、抱えられている腰が揺れて仕方なかった。だが佐助の声は楽しそうに耳朶に響いてきた。

「どこ?」
「あ、うぁ――ッ」

 ぐ、と熱いものが後孔に押し当てられる。背が撓って布団の上に沈みこみそうになるのを、佐助の腕に引き上げられていく。何度もそれを繰り返し、ただ揺さ振られるだけに任せるしか出来なくなっていった。










「はい、これ預かってたの」

 つい、と朝日が昇り始めた頃に佐助の手が、幸村の前に差し出された。夜半を通してどろどろになるくらいに身体を重ねて、流石の幸村も立ち上がれなくなっていた。
 それを佐助はしきりに「ごめんね」と言いながら介抱していく。
 新しい布団の上でうつぶせて枕を抱え込んでいると、ちゃら、と彼の出立の時に渡した一文が渡される。
 ちら、と幸村はそれを見ながら、首を逸らした。

「――お前が結んでくれ」

 くふくふ、と笑いながら佐助が幸村の傍らに来て、首に絡まる髪を指先で払う。そして首にかけていた紐の結び目を器用に解いていく。

「はいはい。あ、ねぇ…雨の日はちゃんと雨戸閉めておかないと駄目だよ?」
「それは…佐助が還ってきたら解るようにと」

 ぷい、と頬を膨らませて反論する。

「え…――?」
「あ…――」

 言ってから、はた、と気付いた。これでは佐助が戻ってくるのを、只管待っていたと告白しているようなものだ。
 ぼふ、と布団の上に突っ伏すと、佐助の優しい手が頭に添えられる。そしてゆっくりと撫でていく。

「ありがとう、旦那」

 ――ちゃら…

 首元で再び揃った六文銭が音を立てる。その事に胸を撫で下ろしながら、幸村はぎしぎしと軋む身体を反転させて、佐助の手を握ると指先に口付けた。

「どうしたの、甘えて」
「甘えてもいいではないか。もう薬は抜けたのだろう?」
「うん…――ねぇ、俺さ、旦那が居ないと駄目になっちゃったみたい」
「――?」
「俺様、あんた以外の誰にも仕えたりしないからね」

 佐助はそういうと、幸村が口付けていたのを良い事に、指先を口腔内に滑り込ませて、舌先を、とん、と指で弾いた。

「どんな合図も、見逃さないから」

 ――だから、いつも俺を求めてね。

 そんな風に言う佐助に頷きながらも、お前こそ俺を求め続けていてくれ、と胸中で繰り返していく。だがそれは言葉にはならず、口付けで説かされていくだけだった。
















090726 up 佐助が好きで仕方ない旦那を書きたかったのですが…