響く声



 貴方に置いていかれるのを、ずっと怖がっていた。



「佐助、さすけ…」
「旦那、何?」

 気付いたときには、幸村の背中に背負われていた。どうしてそんなことになったのか――それは今でも覚えている。幸村に背負われて、ああ昔と逆だ、と笑うと彼は不思議そうに振り返る。
 鼻先に、ふわり、と甘酸っぱい香りがした。

「もう花が咲いたぞ」
「ああ、梅?」
「そう、梅だ。お前はいつぞやに、香りのある花が好きだと云ったろう?」
「うん、云ってたよ」

 こくり、と頷くと幸村は梅の木の下に佐助を下ろした。そして顔を近づけると、佐助がゆっくりと手で彼の頬を包む。

「それは…己の血臭を隠せるからだろう?」
「うん」
「今は…?」
「今は、この死臭を隠せるから、かな」

 今、幸村の気配はとても怯えていた。それが解ってしまう。

 ――もう眼は見えない。足も、動かない。

 彼を戦いの最中で守ったとき、それでいいと思った。彼をかばってこの身を盾として――そして失った四肢のいくつか。
 だがそれを幸村は気にしている。

 ――気にしなくていいのに。

 ゆるゆると掌に幸村の頬が触れる。そこに濡れた感触が落ちてくる。

「ならば、もっと…強い香りの花が咲くまで」
「うん…そうであればいいけど」

 手を探って――気配をたどるのは得意だ――幸村の目元を拭う。案の定、幸村は泣いていた。

「それよりも、俺はね…」

 こみ上げる告白の言葉より、今この腕にある温もりが本当のものであって欲しい。そして、彼にも自分の温もりが移りこんでいけばいい。
 佐助は両腕を伸ばして幸村を抱きしめた。強く、強く抱きしめると、幸村は佐助の肩口に顔を押し付けてしがみ付いてきた。

「貴方の香りに包まれる方がいい」
「さすけ…」
「旦那の香りなら、血でも汗でも何でも愛せるから」
「さすけ…」

 ぐすぐす、と幸村が泣き声を含ませる。あやすように彼の頭を撫でて、そして背中を辿る。

「ねぇ、ごめんね。俺、こんなになっちゃって」
「云うな」
「貴方の手足になるって、貴方を守るって云ったのにね」
「云う…な…――」
「ごめん」

 約束を果たせなくて御免、と告げると、置いていくな、と幸村は云った。
 もう既にお役御免になっているのに、と苦笑するしかなかったが、佐助は頷いていった。

「置いていかれるのを、怖がってたのは俺様だったよ?」

 そんな呟きに幸村は、煩い、と唇を塞いだ。

「ねぇ、旦那。俺を忘れないで」
「忘れるものか」
「忘れてもいいけど、忘れないで」
「なんだ、それは?」
「うん…時々で良いや。思い出してくれるだけでいい。梅が咲いたら、こうして触れ合ったこと、思い出して」

 何度も口付けて、抱きしめて、匂いをかいで――それしか出来ない自分達には、どれだけ濃い時間だったろう。
 梅の木の下で、甘酸っぱく唇を重ねたのが最後だった。

 ――貴方の耳に、いつまでも俺の声が響いていればいいのにね。












2009.07.14.Tue