恋に恋焦がれ ――まったくいつも突拍子もない。 草木も眠る刻限に自分を呼ぶ声がした。その声に応ずるように、佐助は声の主のもとへと参じる。こんな時間に何用かと思いながらも気を引き締め、目の前の幸村の前に膝をついた。 「佐助、御主に聞きたいことがある」 「は、なんなりと」 硬い彼の声色に仕事かと気を引き締める。軽快な返事を述べ頭を垂れる。 「御主、恋をしたことがあるか?」 「――――…」 我が耳を疑った。 ――なんて言った? 思わず思考が停止しかけたが――いや、肩透かしを食らったと言っても良い。頭を垂れたまま顔を上げられずにいると、不安そうな幸村の声が再び呼びかけてくる。 「佐助、聞いているのか…?」 「――――……」 「さすけ?」 「――はぁ?」 聞き間違いではなかったと判断し、顔を上げながら素っ頓狂な声を上げる。一体何をしてこんな質問が飛んでくるのか。片膝を立てて座っていた足を、すとん、と床に下ろし、正座になる。腿の上に両手を置いて、ふう、と深い溜息をつくと、今度は幸村が焦ったように口ごもった。 「いや、だから恋をした事があるのかと」 「どうしていきなりそんな話になる訳?呼び出されたからお仕事かと思ったじゃない?」 「いや…昼間、前田殿がいらして」 「ああ、あの風来坊」 ――そういえば昼に来てたね。 ぽりぽりと頭を掻きながら、前田慶次の明るい笑顔を思い出す。手土産に甘味を持って現れた彼を門前で見かけた。暫く幸村と話していたかと思うと、今度は信玄公の元にも行くというので道先案内もした。 ――何を余計なことを旦那に言ったのかねぇ。 あの能天気なまでの男前な笑顔を思い出しながら、胸内で毒づく。だが佐助の心中など構わずに幸村は言い澱みながらも説明していく。 「その際に『恋はいいものだ』と話され、某、大いに焦ってしまってな。それで、その…佐助はどうなのかと…さ、参考までに」 ――なんで俺にふるの? 幸村の思考回路にも欠陥があるように感じる。だが親しくしている間柄、一番に自分を思い出してくれたことが嬉しい。 ――でもさ、それを俺にふるのは酷いよね。 佐助は少なからず幸村を想っている――だがそれは主従、友人、そんな域のものを超えているのに、打ち明けてはいなかった。歯噛みしたくなることも再三あったが、それは耐え忍んできた。 ――旦那が、誰を選んでもいいなんて俺は思えない。 そこに来て当の本人から「恋」について聞かれる。人の気持ちを知ってか知らずか、ずかずかと無邪気に踏み荒らされてしまう気もする。唇を小さく、きり、と噛むと佐助は片眉をへの字に曲げたままで明るく言った。 「旦那、初恋もまだだもんね?」 「は…ははははつこい?」 「そう、その反応。面白がられたでしょうよ」 ――正直今まで彼に変な虫がつかないように気を配ってきたのも事実。 指を指して笑う間中、幸村は同様に顔を真っ赤にして目をくるくると動かす。ひとしきり笑い、幸村を焦らせて自分の気持ちを誤魔化す。そうしている間に幸村は肩を戦慄かせて、黙り込んでしまった。それを見て溜息をつく。苛めすぎたな、と想いながら、掌で腿を、ぱしり、と叩くと、その音で幸村が顔を上げた。 「で?何を聞きたいの」 「いろいろ……」 「はぁ…やっぱり旦那も男の子だもんね。気になるよねぇ?」 「――――面目ない」 しゅん、と項垂れる姿は、どちらが主かわかったものではない。 ――苛めてごめんね。 決して声に出さないが、佐助は胸内で幸村に誤ると微笑んだままの表情で先を続けた。 「いいよ、教えてあげる。でも後悔しないでね」 「――……?」 ――腹を括れ。 そう自分に言い聞かせる。この気持ちを彼に知られることを恐れず、彼が望むのなら何でも応えてやろう。 佐助は膝を進め、幸村の――より近くにいくと、すとん、と腰をおろした。 「して、佐助、恋をしたことはあるのか?」 動揺が落ち着いてから――それでもまだ眦は紅かった――幸村が尋ねてくる。 「そりゃあ、ありますよ。でもねぇ、それよりも先にそのずっと先に行っちゃってたりしてたから、なーんか罪悪感しかなかったなぁ」 自分の経験を洗いざらいに吐露させられるのは気が引ける。だが幸村には誤魔化しは通用しない気がした。まだ若い――といっても今でも重々若いが、昔の事を思い出す。幸村は引っ掛かった事に鸚鵡返しに聞いてくる。 「罪悪感?」 そ、と頷きながら佐助は続けた。 「自分がなんか汚れているような、ね」 「何故、そのように?」 「だーから、俺の職業考えて」 「――忍?」 思い当たることを、ぽつ、と告げる。そしてそれに応える。 「そう…閨事だって覚えておかないとね。くの一には負けるけれど」 「ねねね閨事……――ッ?」 「あら、刺激強すぎた?」 「よよよ要するにッ、佐助は経験豊富ということだなッ?」 ザッ、と思い切りその場に立ち上がって動揺を顕わにする幸村を、どうどう、と宥めると「某は馬ではござらん」とまた突拍子もない反論が返って来る。 笑いを堪えながら、佐助は幸村を宥めて再び座らせた。 「そんなに勢い良く言われてもね。旦那よりは豊富かなぁ」 ふうふう、と息巻く幸村に、笑いを抑えきれずに肩を震わすと「あまり笑うな」と叩かれた。 「…それは何時頃のことでござるか?」 「まだ俺も子どもだったからねぇ…いつかなんて忘れたよぉ」 思い出そうとすると厭な思い出も蘇ってくる。大して良い記憶でもない。忍としての修行の最中などそんなもので、知らぬ間に身体を開き開かれ、気持ちが追いついた時には泣くしかなかった。どうして泣くしかなかったのかは解らない――でも、あまりにも相手が綺麗に見えて、泣けて仕方がなかった。もう忘れた面影を再び追うことは無い。 それよりも今、慕っている相手への気持ちの方が強いのは当たり前のことだった。 「でも、相手の事を思うだけで胸が温かくなって…気持ちの良いものだよ」 視線を合わせる事なく、目の前の彼のことを思いながら告げる。こんなに間近にいるのに、手に入らない人だから、と諦めていても想わずにはいられない。 だが、幸村の様子がおかしい――ぐ、と黙り込んでしまった。 「どしたの?」 「……好いた相手に心奪われたのか」 「過去のことだよ」 「――――…」 ぱくぱく、と小声で何かを幸村が言う。よく聞き取れなくて、小首を傾げながら幸村の顔を覗き込む。 「ん?旦那?」 「なんか悔しい……」 「は?」 「佐助はいつも某の傍にいてくれたのに、佐助がどんな想いを抱いているかも某は知らなんだ。それが悔しい」 「――旦那」 ふるふる、と彼の握った拳が揺れている。自分に対する思いやりに、胸が熱くなる。そっと手を伸ばしかけた。 「もし大切な人が居るのなら…」 伸ばしかけた手を、空中でぴたりと止めた。 ――どうして、そうなるのかなー? 鈍感な彼に泣きたくなってくる。伸ばしかけた手を自分の額に当てて、天井を仰ぐ。思わず神様にでも祈りたくなってしまう。佐助は天井を見上げたまま言った。 「今の俺には旦那が大切だよ」 「そうではなくて、今現在のそなたの想い人が…」 「俺の好きな人、誰か聞きたいの?」 「え……――」 がば、と幸村が顔を上げる。 ――ひや。 表情を作ることが出来なかった。硬質な、今にでも斬りかかりそうな、能面のような顔をしてしまった。瞬時に変わった雰囲気に、幸村も表情を強張らせる。 「聞きたいなら、教えてあげる」 「さ…すけ…――?」 「でも知っても、俺を遠ざけないでね」 ぐ、と手甲を外し、歯で手甲を押さえていた晒しを剥ぎ取る――そのままで触れたら、幸村に傷を負わせてしまうから。 その仕草をじっと、瞬きをせずに幸村が見つめてきていた。 素肌の掌で、ゆっくりと幸村に手を伸ばし、頬に触れる。恋焦がれた相手に、触れながら肩を、顔を寄せて、鼻先を触れるほどに近づける。 それでも瞼を開けたままの彼に、苦笑しながらも「目、瞑って」と告げた。 触れられた頬が熱い。 あまりの熱さに、動くことが出来なかった。そして触れた唇に、ふわり、と身体が浮いたような気がした。 「さ…すけ…――」 自分から、一度離れてしまった唇を強請った。それに意外そうに――困ったように眉を寄せながら佐助は笑い、再び口付けてくれた。 腕を彼の首に回すと、背中に彼の腕が回ってくる。ぼう、とする思考と、どこまでも彼に任せてしまいたい衝動が溢れてくる。 「某は…自惚れて良いのか」 「いいよぉ、ずっと自惚れてて」 ――そして俺に恋してよ。 くすくす、と笑いながら耳元に囁く佐助の眦が少しだけ涙で濡れていた。 それが彼に恋した瞬間のこと。 090524 up はじめてものがたり? |