刃の心 庭で自己鍛錬に専念している幸村を、佐助は縁側に座って眺めていた。 幸村が動くたびに、ぱらぱら、と汗が飛び散る。 どれくらい続けているのかと問い質したくなるが、倒れない程度なら良いだろう。 ――そもそも、うちの旦那はそんなに柔じゃない。 だが今日は春と言っても炎天下ほどの気候だ。あまり続けていれば、いつか熱中症にでもなってしまうのではないかと思われた。 ――このくらいで止めておこうかね。 佐助は運ばれてきた茶に口を付け、ずず、と音を立てる。 そして頃合を見計らって、気合を入れ続ける幸村の背中に向って声をかけた。 「旦那ぁ、その辺にして一服しない?」 「……そうでござるな」 は、は、と息が切れている。 幸村は流れる汗もそのままにして、くるりと踵を返すと佐助の座っている縁側に近づいてきた。 「まずは水でも飲んで。はい」 「かたじけない」 手渡した水を、こくこくと咽喉に嚥下していく。その度に仰け反る咽喉が上下に揺れた。縁側に座っている佐助からは、その様子を仰ぎ見ることになるが、やたらと艶めかしく見え、思わず声が漏れてしまった。 「色っぽーい」 「ぶほ……――ッッ」 「わああ、旦那、きったないッ」 「誰のせいでござるかッ」 眦を紅くして幸村が怒鳴る。噴出した水で口元まで濡らし、それを拭う仕草さえも色がある。 「だって旦那がやらしい…」 「ままままだ言うかッ」 「わぁぁぁ、槍向けないでよねッ」 ぶん、と先ほどまで手にしていた槍を佐助に向けてくる。だが、ふと佐助の動きが止まった。 「――――…?」 「あ〜……」 「如何した、佐助?」 「旦那、ちょっとごめん」 つ、と手を伸ばして佐助が幸村の耳元に触れる。ひやりとした指先に、びく、とかすかに幸村の身体が揺れた。 「何でござるか?」 「うぶげ」 「は?」 「産毛、伸びてるね。来て、剃ったげる」 「――…ああ、確かに…」 「子どもみたいだね、旦那って」 くすくす、と佐助が笑いながら手招きする。言われて幸村は自分の耳朶から首筋にかけて触れてみた。 かすかに手に触れる、柔らかな感触があった。言われるまま彼について、縁側に歩を進めた。 縁側に座った佐助の膝に頭を乗せ、ちらりと見上げた。正座している佐助の膝に頭を乗せると、さらり、と長い髪を払われる。 そして首筋を顕わにされると、いつもは感じない外気が特に強く感じられた。 「旦那、髪結うからさ。ここ丸見えなんだよね。まばらになっていると見っとも無くて」 「悪かったでござるな」 「だから俺様がちゃんと整えてあげる」 かちゃ、と幸村の視界の盲点から、金属音がする。それを訝しく窺う。 「――何時もながら、何を使って…」 「え?クナイだよ」 す、と横目でみると佐助の手に、くるりと刃物が見える。それも彼の商売道具の一つだ。 「俺様のクナイは良く切れるからね。動かないでね」 「――…」 ごく、と咽喉が鳴った。 ――ひやり。 首筋にかかる刃物の冷たい感触に、ぶるりと身を震わせると佐助が、ふふふ、と笑った。 「鳥肌立てないでよ」 「す、すまぬ」 ――しょり、しょり… 規則正しくかすかに肌を刃物が滑る音がする。 「今さ、こうして無防備にしている旦那の首を掻き斬れるんだよね、俺」 「――さすけ?」 「なんか…無防備にさらされると変な気が起きそう」 ――つ。 きり、と微かな痛みが首筋に当たる。血は流さない程度に突きつけられた刃物の感触が咽喉に触れる。 「佐助はそんな事はしない」 「まぁね。俺は忍だから」 ふ、と瞼を落としながら幸村が言うと、明るく佐助が切り返す。瞬間にあった緊迫した空気は消え去っていた。 「――主は守る、であろう?」 「うん。何からも守ってあげる。旦那が旦那の路を迷わず歩けるように。余計なものはこの俺様が斬ってすててあげるよ」 ――はい、反対向いて。 幸村の肩を佐助が叩く。のそりと身体の向きを変えて再び佐助の膝に頭を乗せると、再び刃物の感触が首筋に流れる。 それを感じながら、幸村はぽつりと言った。 「某の為に手を汚すのか…」 「そうあれば俺は本望だね」 「――…本当に?」 刃の感触が首筋から離れる。幸村は首だけを廻らせて、佐助を見上げた。すると佐助は額にかかる前髪を、ゆっくりと撫で上げながら笑った。 「だって、俺は忍だから。刃の心を持って、貴方に仕えるよ」 「佐助……」 幸村の眉根が寄る――まるで苦痛を耐えているかのように切なそうに、彼の表情が歪んだ。だがそれとは裏腹に佐助は両手を組んで顔の横に倒すと、にこにことしながら言った。 「だから給料弾んでね」 「――……感動しかけた某が馬鹿でござった」 がく、と力なく佐助の膝に沈み込む。そうしていると、温かい手ぬぐいで首筋を拭われた。ふんふん、と佐助は鼻歌さえも歌っている。 そして、ぽん、と幸村の肩を叩く。 「はい、終り」 「かたじけない」 のそりと起き上がり。肩に乱れた髪の筋を束ね、はら、と背中に流すと、佐助が「ヒュウ」と口笛を吹いてみせた。 「男前だよ、旦那」 言われた言葉に苦笑し、に、と口元を釣り上げると、幸村は身支度を整えていく。それを見つめながら、佐助は彼に気付かれないように、ぐ、とクナイを握り締めた。 ――この手の兇器はいつだって、貴方の為に。 「佐助、ついて参れ」 「はいはい、っと」 呼ばれて顔を上げた瞬間には、いつもの表情に戻っていた。 嫉妬で狂いそうになる心も切り捨てながら、いつまでもこの人の傍にいたい。 ――刃の心は、胸の内に秘めて。 090508 up |