flower of passion 初めて彼が店に来たときのことを覚えている。 三人の青年が店内に入ってきた時、棚の上の鉢に隠れた。だけれども、彼らの声に顔を出して、そして上から店内を見下ろしていた。 きらきらと、夕日のような髪が眼に入って、声が耳朶に届いて、確かめるように何度も何度も鉢から覗き込んだ。 ――咲くと元気が出そうだよねぇ。 棚の上の己を見上げて、彼は云った。告げられた瞬間に、ふわりと胸が熱くなった。 ――咲いて、見せて、魅せてあげたい。 自分の花を見たいと云ってくれた。それが嬉しくて、咲く頃を指折り数えてきた。そしていざ咲いてみれば、今まで知らなかったことを彼は沢山教えてくれた。 今年の夏は例年に比べると涼しいほうだ。だが、絡めあった身体は熱くて、まるで熱帯に紛れ込んだかのようだった。夜通しで何度も身体を重ねてきた。 ゴウ、と強めのエアコンの風の音が響く。汗をかいて、エアコンで冷えた肩を引き寄せて佐助が幸村の額に唇をつけた。 「花の季節は短いねぇ…」 「――…あと少しでござろうな」 腕を佐助に絡めて、幸村もまた気怠るそうに答える。腕を動かすのも億劫になってしまうが、手に馴染んだ佐助の肌の感触から離れがたかった。 「旦那…居なく、なっちゃう?」 「居なくなりはしないでござる。ただ…また、元の小さな某に戻るだけでござるよ」 一つの枕に二人で頭を寄せ合っていると、話すたびに息が吹きかかる。ふにゃ、と眉を下げた佐助に幸村は柔らかく微笑んだ。 ――ぎゅ。 絡めた腕を引き寄せて佐助が再び自分の胸元に幸村を抱きしめた。触れた素肌が――触れた部分だけがやたらと熱い。 「小さい旦那も好きなんだけど、こうして抱いちゃうと駄目だね」 ――ずっと抱き締めていたくなっちゃう。 「佐助……」 腕だけでなく足まで動かして絡めてくる。このままくっ付いていたら、其処から溶け合って一つにさえなりそうな気がしてしまうのに、そんな事は有り得ない。 花期が終われば、再び実体になることも難しい。こうして触れ合って、確かめあうことなんて出来なくなる――でも、それでも彼が側に居てくれたら、日々に華が咲いていくだろう。 佐助は、すう、と息を吸い込むと鼻先を重ねて瞼を落とした。小さく「旦那」と呼びかけると、うとうとし始めていた幸村が瞼を押し上げる。 「ずっと大切にするから、側に居てよ」 「それは、俺の台詞でござるよ」 ――側に居させて。 掠れた声で告げて、静かに唇を重ねて――誓い合うかのようなキスをすると、二人とも深い眠りへと落ちていった。 ひやりとしたシーツの感触に、佐助が手を弄る。其処にあった筈の熱の塊がなくて、驚いて瞼を押し上げると、がばりと身体を起こした。 「旦那…――?」 居なくなってしまったのだと、全て夢だったのだと――そうなってしまうのを恐れていた。それが今現実になったのかと思って、勢い良く身体をベッドから起こすと、ふわ、とカーテンが風で動いた。 「――――…」 カーテンの方を見やると、カーテン越しに陽を浴びている幸村がいる。とりあえずといった風にブランケットで身体を包んで、瞼を落としながら陽を浴びている姿が、やたらとキラキラとしていた。 背に流れる髪が、ゆら、と揺れる。陽を浴びて、明るい茶色が透けて見えた。 ――ぎし。 ベッドが動いた拍子に軋んだ音を立てた。佐助が幸村に近づき、後ろからブランケットごと抱き締める。 ローテーブルの上では三個目の華が、既に閉じて色を薄くしていた。 掛けられた佐助の腕に気付いて、幸村が背後に顔をめぐらせる。そして、ふふ、と鼻先で笑みを漏らすと、幸村は少しだけ残念そうに「そろそろでござる」と呟いた。 佐助は思い切り息を吸い込んで頷いた。 ――ぽとん。 耳に最後の花が落ちる音が響いた。それと同時に佐助の腕の中から幸村が姿を変える。 「――――…ッ」 ふう、と幸村が消えていく。手にあった筈の感触がなくなり、空を切る。その瞬間、どうしようもない寂寥感が訪れてきた。腕に絡まるブランケットを佐助は思わず握り締めていた。 ――ごそ。 ふとブランケットの中で、ごそごそ、と動く気配にじっと眼を凝らしていると、小さな――約10cm程の体長の幸村がのそのそとブランケットから這い出てくる。 「佐助殿〜…」 ブランケットから頭を飛び出させた幸村が、小さな手を佐助に向ける。佐助は小さくなった幸村を摘み上げて掌に乗せた。紅い服を着た背中が、ちんまりとしている。 「旦那、ちっちゃくなったねぇ」 「華が落ちてしまい申した。また、いずれ…」 「うん。でもずっと側に居てね」 「勿論でござるッ!」 佐助の掌の上で幸村が仁王立ちになり、両の拳を握り締めていった。 さああああ、と水遣りをする慶次の花屋に訪れながら、佐助が作業台に頭を乗せて呟いた。いつの間にか慶次とは仲良くなってしまっており、時たま元親や小十郎も交えて食事にまで行く仲になっていた。 「また来年かぁ……」 「何云ってんの?」 水遣りを終えて慶次が店の中に入ってくる。彼の首筋には汗が滲んでいた。 ――はぁ、外は暑っつい。 ごしごしとタオルで顔を拭きながら慶次が云う。佐助は顔を起さずにそのままの姿勢で話した。目の前にはカップのアイスクリームを一生懸命に舐める幸村が居る。大人しくバニラアイスを食べているのだが、例に漏れず手にも顔にもべたべたとアイスをつけている。 「え?だって、夏の花でしょ?」 「それ間違い」 「え……?」 佐助が顔を起すと、慶次は目の前で麦茶を飲み込んでから、人差し指を揺らして説明を始めた。 「主な開花時期は夏だけど、元々、周年性でさ。条件さえ揃えばいつでも花期になるんだよ。大体25度くらいで、陽にあてて、肥料やって…」 「えええええ――――ッ?」 ――がばっ。 勢い良く佐助が身体を起こす。いつも大音声を響かせるのは幸村だが、この時ばかりは佐助が大声を出していた。おかげで店内にふわふわしていた、花の精たちまでも驚いて自分達の鉢に飛び込んでしまった。 「旦那、知ってた?」 佐助がアイスを貪っていた幸村に視線を動かすと、幸村は盛大にアイスを取り落として首をぶんぶんと振っていた。 「某も自分の事ながら、今、知り申した」 ――だって教えてないもん。 幸村も瞳を白黒させている中で、慶次だけが楽しそうに胸を張った。愕然とする佐助と幸村を前にして、かかか、と盛大に慶次は声を上げて笑った。 「え、でも慶次はそうしなかったの?」 「だって…幸村、五月蝿いから。考えてもみてよ、ミニマムでも五月蝿いのにさぁ?」 「酷いでござるッ!」 ぴぎゃー、と小さな手で顔を覆って幸村が嘆く。確かに彼は元気が良すぎる。思い当たる節もあるので、斜め上を眺めていると幸村がそんな佐助の仕種にさらにショックを受けて「うわああん」と声を上げた。 「それに休めてあげないと、綺麗な大輪の花にはならないからさ」 「へぇ……」 泣き出す幸村の額を慶次が指先で弾くと、後方にころんと彼は転がった。すると涙も引っ込んで、よいしょ、と起き上がる――なんてタフなんだ、と佐助が観ていると、今度は佐助に慶次はにやにやと口元を吊り上げて云った。 「でも、恋する花にはそれも無理か」 「――だねぇ」 にま、と佐助もまた笑いながら頬杖をつく。その視線の先には、ぺったりと作業台の上に座り込む幸村が居る。幸村は慶次と佐助に見つめられて、きょとんとしていた。 佐助が指先を伸ばして幸村の頬についたアイスを拭う。それをそのまま自分の口元に向けて舐めると、バニラの甘い味が広がった。 だが幸村は佐助の仕種に、破廉恥なっ、と顔を小さな手で覆ってしまった。 「恋しちゃってるねぇ、幸村も、佐助も」 ふははは、と慶次が笑う。同じように佐助も笑いながら云った。 「なんたって情熱の花ですから」 「時々は休ませてあげなよ?」 人差し指を立てて慶次が忠告するなかで、幸村だけが恥ずかしがって真っ赤になりながら「二人とも破廉恥でござるッ!」と叫んでいった。 夏も終わりと思う頃に差し掛かると、仕事もひと段落して落ち着いてきていた。のんびりする時間も出来たので、皆で食事でもしようと早めに帰社することにした。 元親と小十郎と並んでロビーに向かっていくと、元親が視線の先にいる青年に気付いて呆れた声を出した。 「あ?また幸村、花期なのかよ」 ぱたぱたと走りこんでくる姿が――まだ夏真っ盛りのような笑顔で、此方に向かってくる。近くにくると元親は幸村の頭を上からわしわしと撫でた。 「以前ついていた4個の蕾が膨らみまして、花期と相成り申した」 照れながら幸村が答える。佐助が空かさずその横に立って現状を伝えた。 「今、また膨らんだ可愛い紅い蕾が付いてんですよ」 「何時ぐらいまで咲くんだ?」 その横で小十郎が問いかけてくる。肩に乗ってバランスを取っていた政宗が、ぴょん、と飛び跳ねて幸村に向かう。幸村が政宗を受け止めると、きゃっきゃ、とはしゃいでいた。 「秋頃までらしいですけど、お陰で部屋の中は南国みたいですよ」 「南国…?」 元就を肩に乗せたままの元親が首を傾げる。元就は元親の頬に手をついて小首を傾げていた。佐助は皆に向けて、満面の笑みを向けて告げた。 「真っ赤な深紅のハイビスカスですから」 可愛がってるくせに、と小十郎が肘で小突いてくる。それに笑いながら頷くと、幸村が佐助の視線に気付いて、にこりと笑った――まるで、ハイビスカスが大きく花開いたかのような笑顔だった。 「さ、ご飯食べにいきましょうよ!」 佐助が皆を促がすと、それぞれが再び歩き出していく。幸村の掌から小十郎が政宗を、ひょい、と摘み上げると胸ポケットに押し込んだ。それを見送る幸村の元に佐助は向かうと、手を差し出した。 「ほら、旦那も行こう?」 「うむっ!」 ぱし、と手を乗せる彼の指に、指を絡めて強く繋いでいく。原色の彼が其処にいるだけで、華やいだ気持ちになっていく。 「旦那ぁ、離れないでよね」 「無論、着いて行くでござるぅぅぁぁぁああッ!」 手を繋ぐと佐助は強く引っ張りながら走りこんでいく。それに負けじと幸村もまた佐助にあわせて走りこんでいった。 会社の外では走り出す二人を待つ元親と小十郎が――そして元就と政宗がいる。 まだ夏の名残のような、灼けつく匂いを残す夕日をみながら、彼らは歩調を合わせていった。 了 091023 up |