お花見の裏側



 皆で花見に行くという事になり、場所とりはもっぱら佐助と幸村の役目となった。あれこれと調べてみて見つけたのは、車で一駅分くらい行った場所の公園だった。

「いい場所見つかったんだけど…ね。もうこれ咲いちゃうかなぁ」
「そうでござるなぁ…」

 見上げる先の桜は既に七部咲きだった――ほぼ満開といっても過言ではない。今年は中々咲かないと思っていたのに、いざ咲いてみると早々に花が満開になってしまっている。それはそれで綺麗なので非難するつもりもないが、できれば週末とかに合わせてほしいものだ。

「予定している日は今週末でしょ?それまで持つと良いんだけど」

 佐助が見上げる先には、枝に座りながら、桜色の裾をひらひらとさせた桜の精が居る。視線があうとあちらは驚いた顔をしてみせた。そして興味本位に、さら、と桜が手を伸ばしてくる度に、肩に乗っている幸村が威嚇していた。

「あとは場所取りって事で…」
「場所取りとは?」

 小首を傾げて幸村が問いかけてきた。考えてみれば幸村たち花としては、あまり理解できないことなのかもしれない。佐助は噛み砕きながら――さくさくと芝生を踏みしめて歩きつつ――説明していった。

「うん、まあ…桜の予約みたいな感じ?」
「咲き誇っている花には集まるのでござろうな」
「そりゃあね」

 桜が満開になった時は、昼でも夜でも花見客がいるものだ。静かにしっとりと花見を、などとは思えないのが現状である。庭に桜の樹でも植えられているのなら話は別だろうが。
 佐助が今までの花見話などをしていると、ずっと黙っていた幸村が、小さな手を口元に寄せて、うぬぬ、と唸った。

「ならば、咲かねば…見向きもされない、のでは?」
「うん?」

 一連の桜並木を見てから、ふと小高い丘になっている場所にある一本桜に気付いた。其処に足を向けていくと、他とは足並みを外しており、まだ5分咲きにも満ちていない。
 その桜の真下にきた辺りで、急に幸村が顔をぐんと起こした。

「某、ひとつ願い出てみようと思いまする」
「え、ちょっと、旦那…――っ?」

 佐助が肩の上に乗っている幸村に手を向けようとした瞬間、幸村はぴょんと肩から飛び降りて、たたたた、と桜の元に駆け寄っていった。

「お頼み申す〜ッ!」
「え…ええええ?」

 いきなり地面を走り出した幸村に、佐助が面食らっていると、幸村はあたり一杯に響くような大声で叫んだ。

「某、幸村と申します。お願いがございまして…」

 樹の幹にまで駆け込んでいくと、幸村は桜を振り仰いだ。すると桜の樹の枝に、ふわり、と一人の青年の姿が見えた。音も無く現れた彼は、髪が夕陽色に近い――だがその顔は鎧のようなもので覆われており、見ることは出来ない。

「――――…」

 幸村は樹の枝に座る彼を振り仰ぎながら、必死になって拳を握り締めた。

「其の方の桜の下で花見がしとうござる」
「――――…」
「ですが、人とは良く咲く花を予約してしまうとのこと。此処は是非、今週末までで良いので、咲かずにいてもらえはしませんでしょうか?」
「――――…」

 幸村が必死になって説明する中、彼は一向に応えない。ただ、さらさら、と蕾の多い枝が揺れるだけだ。

「某、何もお渡しすることも出来ませぬが、是非とも…」
「俺様からもお願いするよ。どうか、この下で花見をさせてくれないか?」

 幸村の勢いが徐々に力なくなっていく。佐助は歩み寄り、幸村を掌に掬い上げると、自分の頭の上に乗せた。すると髪にしがみ付いて幸村が再び上を振り仰ぐ。そんな幸村に手を添えながら、佐助はふと呟いた。

「慶ちゃんにも、桜…見せたいし」
「――――…ッ」

 瞬間、ざわ、と枝が揺れた。さわさわ、と花が揺れ、観るうちにひとつふたつと蕾が開く。その様子に驚くと共に、幸村が上に居る青年に問いかけた。

「慶次殿をご存知で?」

 こくり、と枝に座った青年が頷いた。どこまで顔が広いんだ、と佐助は半ば呆れ気味だったが、それなら協力してくれるのかもしれない、と彼に呼びかけようとして名前が出てこなかった。

 ――そういえば言葉を交わしていない。

 そんな風に佐助が考えていると、幸村が代弁するかのように頭上の桜の精に問いかけた。

「ところでそなた、名前は…」
「――小太郎じゃ」

 二人で上を振り仰いでいると、背後からふと声が上がった。振り返ってみると頭に巻いた鉢巻に葉を差し込んだ姿の老体が其処にいた。瞬時に佐助は彼もまた花の精だと気付く。
 目の前の老体は頭上の彼を振り仰ぎながら、再び彼の名前を教えてくれた。

「小太郎じゃよ」
「御老体…」
「一本だけ、離れて根を張りおってな。ちと頑なになっておる恥ずかしがり屋じゃ」

 ふん、と老体は鼻をならしてから、ちらりと小さな幸村を視界に収めていく。幸村は頭上の青年を振り仰いだままで、彼の名前を呟いた。

「小太郎…殿」

 ――お願い致す――ッ!

 辺りに響き渡る声で幸村が叫ぶ。すると老体は耳に手を当てて「五月蝿いのう」と呟いた。佐助は彼に向って話を切り出す。

「慶ちゃんのこと、しっているみたいだね」
「慶次はこの近くをよく通るからの」

 振り返る先の桜並木には、ひらひらと桜色の服が見え隠れしている。そちらを老体はみやりながら、佐助を振り仰ぐと、にやり、と笑って見せた。

「では我々は一段と華々しく咲いてみせようぞ。ご先祖様がこの地に根を張ってから、数十年…桜の名に恥じぬように咲いてみせようぞ」
「あ、ありがとうございます!」

 ――我らが咲けば、他の人間の惹いておけるだろう。

 そういうと老体は背中を向けて歩いていった。丘から降りる際にはその背中が消えかかり、ふう、と桜の花びらに撒かれていく。

「小太郎殿は…」

 幸村が振り仰いでいると、目の前の寡黙な青年は、こくり、と頷いてくれた。そして腕を動かすと、枝が揺れて――咲いていた花が少しだけ閉じていく。
 彼の配慮に幸村が再び大声で「ありがとうござる――ッ」と夜空に向って吼えていった。

「後は慶ちゃんと、酒と、お弁当があれば完璧だね」
「某、楽しみでござるッ」

 桜の花びらが、はらり、はらり、と音も無く舞いあがる。それを見送りながら、幸村と佐助は、少しだけ咲いた夜桜を眺めていった。










 いざ花見と云う日の前日に、元親は元就を伴ってディスカウントセンターに来ていた。カートに乗せた籠に、ちょこん、と元就が乗りながら辺りを見回している。今回の花見の分担的に、元親が酒の買出しを請け負っていた。

「酒…あいつ等、何が好きだったかな」
「よく呑みに行っているから解ろう?」

 甘いカクテルの陳列された場所を抜けると、次にはビールのコーナーがある。発泡酒が直ぐ近くにあるが、元親はそちらには見向きもしなかった。

「そうなんだけどよ…佐助は発泡酒ばっかりだって言ってたし、たまにはしっかりビールでも呑ませるか」

 ことん、ことん、とビールを籠の中にいれていく。銘柄にこだわりがあるとは聞いていなかったので、元親の好きな銘柄を入れることにした。一缶ずつではなくダースで放り込むと、がしゃん、とカートが揺れた。

「片倉はどうする」
「片倉さんか…あんまり拘って飲んでいるところ観たことねぇんだよ。でも、ま…やっぱりビールかな」

 言いながら元親はお茶もがこがこと投入していた。不意に元就が、上をむくようにして、くるん、と頭を動かした。そうすると広い額が丸く見えた。

「慶次は如何致す」

 ――キッ。

 カートを止めて、元親が背を伸ばした。酒の棚の前で考え込むように、うーん、と唸る。腰に手を宛がって神妙な面持ちだった。

「あいつなぁ…結構呑むよな。正月、俺と酒量違わなかったし」

 ――直ぐに腹が膨れるようにビールだ、ビール!

 元親はがこんと再びダースで酒を追加した。だがカートの中身を見て、元就が腕を振り上げて――ぺしぺし、とカートの柄を叩く。

「結局、びぃるばかりではないかッ」
「あ…ホントだ。いけねぇ、いけねぇ」

 言われてハッとする。結局自分の飲みたいものばかりになってしまっていた。しぶしぶと1ダース分のビールを戻し、代わりに「新商品」と銘打たれていた甘いカクテルを投入した。
 からから、とカートを動かしていると、元親に背を向けて座りなおした元就が、ふと思いついたように問いかけてきた。

「そんなに酒と云うのは美味い物なのか?」
「手前ぇにゃ早いって」

 ――ぴん。

 元就の小さな頭を後ろから指で弾くと、丸い元就の身体がころんと前のめりに動いた。

 ――ごん。

 元親が指を弾いた姿のままで「あ」と声を上げる。見事に元就は額をビールの箱に打ち付けていた。

「ぶ…っ、おのれ…」

 むく、と起き上がった元就は少しだけ涙目になりながら、小さな手で額を撫で擦る。まさかそんな風に倒れこむと思っていなかったので、元親は笑いを堪えるのに必死だ。だが其処に直ぐ元就のきつい――睨みを効かせた――視線が突き刺さってくるので、元親は棚にあった赤い缶を手にした。

「お前らにはこれでいいさ」
「これは?」

 元就が興味を引かれて、きつく引き絞っていた目元を緩めて、元親の手元まで来る。そして掌に乗っている赤い缶に小さな手を添えて見上げてきた。

「甘酒だ。作っていってやる」

 ――本当は酒糟のが美味いんだけどよ。

 だが其方には微弱ながらアルコールが入っている。麹ならば、と元親はカートの中に三つだけ甘酒を足していった。

「元親よ」
「あ〜?」

 買い物を済ませて、カート毎駐車場に向う最中、元就が肩に乗りながら口を開いた。元親の右肩は既に元就の居場所と言っても過言ではない。

「近くに木蓮があったであろう?」
「ああ、綺麗な華だよな。木蓮って」

 自宅の直ぐ近くに木蓮の樹が植えられている。それも白と紫と交互に植えられており、観ている分には綺麗なものだ。
 天に向って伸びる純白の花びらも、ひらり、と舞い降りる紫の花弁も、美麗なものだ。時々元就とその花を観に、散歩に赴くこともある。元就はそれを思い出しているのだろう。

「我はその花がほしい」
「はい?」

 後部座席に買って来たものを積み終えると、元親は小首を傾げて見せた。すると元就はにやりと笑って見せた。

「我らの盃よ」

 ――木蓮の花弁の盃。

 其処に甘酒を入れて呑むのだと元就は話す。ちんまりとした三匹の花の精たちにしてみれば、木蓮の花びらさえも大盃だろうに、と元親はその姿を想像して肩を揺らした。

「随分と風雅だな」
「何とでも言うが良い」

 ふん、と胸を張る元就はどこか楽しそうだった。そんな元就の頬を指先で突いてから、元親は木蓮の花を貰う為に車を滑らせていった。










 きゅ、と頭にタオルを巻く音が響く。手拭いならばもっと乾いた音がするだろうと思っていると、小十郎はもそもそと白い割烹着を着始めた。

「Wait!お前、何時の間にそんなの買ってきたんだよ」
「これか?これは喜多姉さんのだ」

 ――後ろは流石にしまらねぇ。

 くるりと腕を後ろ側に回して小十郎が見せてくる。そしていつもの自分の紺色のエプロンを手にして、さらり、と政宗の身体に巻きつけた。

「――…ッ」
「じっとしてろ」

 正面から屈みこんで、腰に腕を回して、きゅ、と紐を縛る間、政宗はじっと動けずにいた。花期ももう直ぐに終わりだ――この大きさで彼に触れられるのも、あと少ししかない。
 溜息を付きながら政宗は、ひょい、と小十郎の肩に顎を乗せた。そして耳元に低く語りかける。

「Ha…h…お前さぁ…」
「――…政宗?」
「少しは俺の色香に酔ってくれよなぁ…花としての自信、なくすぜ」
「十分に酔ってるけどな」
「え?」

 ひょい、と政宗を抱え上げていく。政宗が咄嗟のことに驚いてしがみ付くと、小十郎は軽く「ははは」と声を上げて笑った。そして政宗を抱え上げたままで小十郎はキッチンに行くと、そこの椅子におろした。そしてひょいひょいと政宗にボウルと卵を渡す。

「え?え?ええ?」
「この卵、全部割ってくれ。それが終わったらゴマ擦って…」
「俺、おにぎりとか作っちゃ…」
「駄目だ」

 ちらりと炊飯器に視線を向けると、既に炊き上がるまで3分を切っている。不意にそう伺うと、ぴしゃりと却下されてしまった。

 ――手、火傷させたくねぇからな。

 腕組をして見下ろしてくる小十郎の迫力は凄いものがある。出逢った頃はよく彼のこの迫力に泣きそうになったものだ。だが今では彼の顰め面さえもが愛しくなってしまう。
 政宗はしぶしぶながら頷くと、こん、と卵を割り始めていった。
 そうこうしている間に、小十郎は見事な手さばきで、てきぱきと弁当を詰め込んでいく。くつくつ、と鍋の中では治部煮が音を立てており、小さな鍋には先程出来上がった芋の煮っ転がしがある。既に鶏の唐揚げはからりと揚がってキッチンペーパーの上だ。
 せっせと作ったお握りは俵型をしており、既に重箱の中だ。お握りの具材は鮭と昆布、それにおかかがある。

「おかかって、元親のリクエスト?」
「そうだ。で、昆布が佐助。俺は鮭が外せねぇと思ってな」

 キッチンで向かい合って作りながら、塩握りも作るぜ、と小十郎は笑ってくる。つまみ食いしてみたくなるのを、ぎゅっと押さえながら政宗はゴマを擦っていく。

「政宗」
「うん?」
「口を開けてみろ」
「――…?」

 不意にフライパンを持っていた筈の小十郎が、背中を向けたままで言ってきた。何だろうかと疑いもせずに、ぱか、と口を開くと、ぽん、と菜箸で黄色いものが放り込まれた。

「あふ…あふいッ」
「冷ましたけどな。どうだ?ほうれん草入りの卵焼き」
「um…ん。美味い〜」

 もこもこと口元を動かしていくと、絶妙な甘さと塩辛さが広がる。あえて出汁を入れていないのに、ほうれん草のしゃっきりした歯ごたえもまた絶妙だった。
 嬉しくて足を――すり鉢を抱えたまま――じたばたと動かすと、小十郎は優しく瞳を眇めてきた。

 ――あ。

 政宗が小十郎の柔らかい表情に気付いて見上げる。その顔に向って、ほんわりと微笑むと、今度は小十郎が驚いたように瞳を見開いた。

「さ…は、早く、詰めるか…ッ」
「小十郎?」

 明らかな動揺を見せながら、小十郎が政宗のすり鉢を取り上げる。政宗はそんな小十郎を、にやにやとしながら見つめた。
 背中を見せる小十郎に向って、こっそりと小声で伝える。

 ――お前が見つめてくれるから、綺麗に笑むことが出来るんだぜ?

 口元に手を添えて、テーブルに肘をついて、割烹着姿の彼の背に伝える。すると小十郎は首筋を赤くしながら、かしゃかしゃと菜箸を振るっていった。政宗はそんな彼にただ小さく肩を震わせながら、ふふふ、と笑っていくだけだった。
 政宗の花期はもう直ぐ終わる。桜の咲く頃が潮時とばかりに、部屋の中にある蒼い鉢植えの中の花も、最後の花を開かせていた。





 了






100421/100921 up 出し忘れてました