行く年、来る年





 仕事納めを終えて、ほっと胸を撫で下ろしながら、今日くらいはゆっくりしたいとベッドの上で眠りを貪る。
 大掃除は、とりあえず身体を休めてからでも遅くない。

 ――そんなに広い部屋じゃないしな。

 そんな風に考えながら、ごろり、と寝返りを打つと、途端に鳴り響いた電話で起された。

「――だから、今年は帰らないと…」

 電話の相手に向って小十郎は寝起きの掠れた声で言う。彼には珍しく、畏まった物言いをしているようにも取れるし、どこか砕けたようにも思える。
 その声に、のそり、と身体を起こして政宗は様子を窺っていた。

 ――相手、誰なんだろうな?

 夜の間には本体の中で休んでいる政宗だが、明け方になると一度起きて出て来る。そして大抵小十郎を起しに行くのだが、今日はそのタイミングを失っていた。

「ですから…その話は」
「――――……」
「本当に申し訳ありません。それでも、今年は…帰りませんので」
「――ッ?」
「良いお年をお迎えください、義姉さん」

 ピ、と軽く通話ボタンを押すと、小十郎はばたりと布団の上に逆戻りした。ふう、と機嫌の悪そうな溜息が聞こえる。
 ひょい、と窓際の棚から飛び込んで、政宗がとたとたと歩いていく。
 そして、ベッドに手をかけると、ひょい、と小十郎の枕元に近づいた。小さな手で、ぺた、と小十郎の頬に手を当てる。

「小十郎…?」
「…ああ、政宗か」
「どうしたんだ?何か……」
「すまないな、お前に気を使わせたか?」

 優しく小十郎が瞳を開いて、ころ、と身体の向きを変えて仰向けになる。そして、片手で枕の下に手を差し入れ、もう片方の手で政宗を自分の頬に引き寄せた。
 ざり、と珍しく髭が当たる。
 少しの刺激に、ううん、と身体を捩ると、小十郎は咽喉の奥で笑った。

「ざりざりするぅ…ッ」
「あ、なんか…もっと摺り寄せたい感じ」
「NOOOOOッ!髭は厭だッ!」

 ――地味に痛いんだよッ!

 ぶんぶん、と政宗が首を振った。そして、いー、と歯をむき出しにする。そうして威嚇する政宗に和んだのか、小十郎が先程までの刺々しい気配をといていくと、ゆっくりと政宗を引き寄せた。

「小十郎…?」
「はは…凄いな、政宗」
「WHAT?」

 引き寄せられて、政宗が小首を傾げる。すると首根っこを掴んで、ひょい、と小十郎は自分の胸の上に政宗を置いた。ぽよん、と小さな身体が弾んでいく。

「政宗の顔見て、触ってたら、何でもないことに思えてきた」
「――――…」
「今の電話、義姉からだ。年末くらい帰って来いってさ」
「そう…なのか。帰らないのか?」
「帰っても、縁談だの何だのと持ちかけられるだけだしなぁ」

 ――元々、俺の兄弟って片方しか血が繋がってないような感じだし。

 はあ、と溜息をつく小十郎に、政宗はびくりと肩を揺らした。自分は花の精だからこうして彼の側にいられる。だが、もし小十郎が結婚でもしてしまったら、自分はどうなるのだろう。

 ――小十郎の側に、居られなくなるのかな。

 花期に実体になっても、もしかしたら小十郎は見てくれなくなるのかもしれない。そんな風に思い描くと、じわ、と涙が浮かんできた。

「お、おい…政宗?」
「ううぇぇぇえええ…っ」
「おい、どうした?」
「小十郎ぅぅぅ、離れちゃ厭だぁぁッ」

 ぶわりと襲ってきた不安を如何することも出来ずに、政宗は両手を握りこんで、ぼろぼろ、と涙を零した。
 小十郎にしてみたら、どうして泣き出したのか――何が政宗の琴線に触れたのか解らない。おろおろとうろたえながら、小十郎は政宗の小さな背中をなでた。

「大丈夫、俺は離れねぇよ」
「本当か?」
「お前、時々物凄く子どもになるな?」

 困ったように苦笑すると、政宗がまだ、ぼろんぼろん、と大粒の涙を零しながら身を乗り出してくる。

「俺、俺…それでも、お前が選ぶんなら…我慢するから」
「おいおい、何飛躍しているんだ?俺は帰らないんだって」
「あ?」

 きょと、と政宗が小首を傾げる。

「面倒なことは御免だ。それに…お前の世話があるしな」
「俺?今はそんなにするような事ねぇぞ?」

 ――まだ咲かねぇもん。

 ぷう、と唇を尖らせながら、政宗がぷりぷりと怒る。世話を焼かれるような――それ程に弱くない、と見当違いな処で見栄を張る。
 ちらりと小十郎は窓辺の政宗の鉢を見上げた。
 其処には片方の枝しか伸ばせない、少しだけ形を異にした枝振りがある。そしてその鉢を彩るのは、蒼いグラデーションの陶器の鉢だ。

 ――でも、葉の境目に小さな蕾が出てきてるんだよな。

「この間、お前と同じくらい…いや、もう少し大きい鉢でな。同じ種類の花だったんだが、これでもかって花を――蕾をつけているのを見たぞ」
「春風だろ?俺も一緒に観た!」

 ――あれは凄かった。

 うんうん、と腕組をしながら政宗は頷いた。だが、自分とは種類が違う、と付け加えていく。

「俺はもっと…少ないからな。花が咲いたら、しっかり眼に焼き付けておいてくれよ」
「でも沢山付けるつもりなんだろ?」
「Sure!」

 枕元に、ちょこん、と座りながら政宗が胸を張る。そんな小さな――いじらしい姿の彼を置いて行くなど、出来やしない。

 ――俺、意外とこいつには甘いんだな。

 まだだと言われても、いつ咲かれるか解らない。
 それよりも、政宗を置いていく気は元々無かったが、どうせなら彼と正月も過ごすほうが、ストレスが無くて済む。

「政宗、約束しただろ?」
「Ah?」
「クリスマスも、正月も、一緒に過ごそうってな…」

 ――忘れてないよな?

 そう聞き返すと、政宗はほわりと頬を染めて、くるん、と小十郎に背を向けた。
 小さな背中が、ころん、と丸くなる。

「お、覚えてるッ!」
「そうか…だから、一緒に居ような?」
「おうッ!」

 ふくく、と咽喉を震わせて笑うと、政宗の背中がぴんとなる。だが彼の――見えている小さな耳が、真っ赤になっていた。













 ――もう直ぐ。

 もう直ぐだ、と自分に言い聞かせる。あれから、起きた小十郎と一緒に外に出て、元親の家で餅を貰ってきた。
 その際に、ふと元就が驚いたように政宗を見つめていた。

 ――政宗…お前…

 そう言われて自分を見下ろしてから、にま、と政宗は微笑んだ。其処まで言うと、元就は全ては言わずに、にや、と口元に笑みを浮かべた。
 政宗はまだ苗の時に病気をした。
 そのせいで、未だに右側の眼は包帯に包まれているし、枝は片方にしか伸びることが出来ない。だが政宗の種類は、原種――しかもかなりの希少種だ。

 ――その希少種でも、俺は例外中の例外。

 その自覚はある。だから余計に、誰も自分を欲しいと言ってくれるとは思っていなかった。だが、今は違う――小十郎とであって、誰かの為に咲きたいと思うようになってきた。
 手を握りこみながら、力が湧いてくるのが解った。
 ちら、と政宗は寝入っている小十郎に視線を動かしてから、そっとカーテンの外の夜空を眺めた。

 ――もう直ぐ、俺の時間が来る。

 自分が咲ける時間がくるのだ。
 それを思うと胸が躍るのも事実だ。政宗はきゅっと拳をつくると、ぐぐぐ、と身体に力をこめた。

 ――ふわッ。

 ぶわり、と身体の大きさが変わる。観ればまだ手も、足も、全て透けてしまっているが、かなり実体に近くなって来ている。

「――――…」

 すうすう、と気持ちよさそうに寝入っている小十郎の元に、ひた、と足を向けて政宗は近づいた。そしてベッド越しに腰掛けると、そっと小十郎の頬に手を当てた。

「小十郎…もうそろそろだぜ?」
「――――…ん」

 触れられたことに反応して、小十郎が寝返りを打つ。彼の眉間に刻まれた皺に、そっと唇を落としてから、政宗は其処を指先で撫でた。

「なぁ…俺が咲いたら、お前、俺を観てなんて言うかな?」

 ――在り来たりな言葉でもいい。

 彼が自分を見て、笑顔になるところが観てみたい。そんな風に思いながら、政宗は再び――透ける手のままで、小十郎の頬を包み込むと、静かに彼の頬に口付けた。
 そうしていると、ぶわ、と身体が力を無くして小さくなっていく。ちんまりとした姿に戻ると、政宗は小十郎の首元にもぞもぞと近づくと、彼の布団の中に一緒に潜り込む。


「俺、早く咲きたいなぁ…」


 政宗が咲くのはこれから先――来年のこと。
その日のことを考えながら、政宗は身体を縮めて、きゅっと小十郎にしがみ付いていった。



















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