舞う花びら、その先に





 客間に一対一で対面して座っていると、幸村が口を開いた。最初は当たり障りのない話だったのだが、政宗の一言で内容は一転した。

「まどろっこしい話は無しだ。用向きを教えな」

 政宗が扇をぱしんと鳴らす。それに合わせて幸村もまた「なれば」と話を切り替えた。

「城下で耳に致したのだが、奥方が懐妊とは…何故に」
「言ったろう?俺が女だってことは、限られた人間しか知り得ないことだ」

 政宗が釘を刺すが、幸村はそれでも「納得できない」といった風に眉根を寄せた。

「愛は出来た女だ。俺のことも知ってる。知って、尚、俺に嫁いでくれた女だ」
「だがしかし…ッ。そのお姿を拝見すれば…――ッ」
「くどいな。野暮なことぬかす前に、帰ったほうが身のためだぜ?」

 ぐ、と咽喉の奥から搾り出すように幸村が言葉を繋げる。そして片膝を浮かせると、心持前に進み出る。

「政宗殿、その腹の子……まさかとは思うが、あの時の…?」
「――――…」
「そうなのでござるか?なれば…」

 かしゃ、と火鉢の中で灰が弾かれた。目の前で動揺を見せる幸村を、政宗は静かな心持で見つめていた。

 ――不思議なもんだな。

 自分でもそうとしか感じられない。身重になったと知った時には、どちらの子かと不安にも駆られた。だが今はそんな事はどうでもいい。目の前の幸村に相対して思うのは、恋情でも、慕情でもなかった。その事が確実に自分の中に形を成していく。そしてその分、冷静になる自分に気付いていた。
 幸村が膝を立て、政宗の側に来る。そして間近に彼を見上げながら、幸村の行動をうかがった。幸村は政宗の前にくると膝を折り、そして身を乗り出してくる。強い瞳が政宗を射抜いてくるのは、出会った時と変わりなかった。

「――某は」
「訊く耳はねぇ。帰んな」

 云いかけた言葉を遮った。すると、がし、と両腕を幸村の手が押さえてくる。

「その子が某の子だというのなら、今此処で、政宗殿を一人の女子として」
「――――…ッ!」

 幸村の言葉を耳にした瞬間、政宗は大きく腕を振り払っていた。拳は強かに幸村に打ち込まれていく。

 ――バキッ

「寝言ぬかしてんじゃねぇッ」
「――っく」

 吹き飛ばされた幸村が頭を振りながら起き上がろうとする。政宗は手元にあった愛刀を掴み上げ、その場に立ち上がった。

「俺を誰だと思っている?俺は、」
「――…ッ」

 声を張り上げて膝をついたままの幸村を見下ろす。そして青灰色の瞳を眇め、彼を睨み付けた。

「奥州筆頭、伊達政宗」
「――……」

 ぐぅ、と言葉を飲み込む幸村を見下ろし、刀を手にする。この手に馴染んだ刃の重さはもはや自分の半身のようなものだ。白刃を抜き放ち、戦わせる相手は目の前の男に他ならない――それ以外は望むべくもない。

 ――俺は、お前の強さだけを求める。

 胸の裡でそう感じながら、刀を勢い良く振り下ろした。

「あいまみえるは戦場と知れ」

 ――ダンッ

 鞘に入ったままの刀が重い音を立てて床に打ち付けられる。両手で柄を握り込み、政宗はただ幸村を見下ろすだけだった。

「政宗殿…」
「俺はお前とは刃を合わせるだけで良い。それだけで、いいんだよ」

 ――それ以上を、それ以下を、求めている訳じゃねぇ。

 結論は既に出ていた。強い者に出会って挑まぬ筈はない。ただ求めたのは戦う相手だ――それが目の前の男だっただけだ。最初の、ただ刃を合わせた時に戻るかのように、この時にそれ以外の感情も、関係も払拭する。
 白く降り積もる雪に全てを埋め込むかのように――そしてそのまま過去は融けて流れてしまえばいいとさえ思う。
 全てを否定する訳ではなく、修正していくだけだ。
 幸村はゆっくりとした動きで起き上がると、政宗の前に座りなおした。瞑目する瞼の下では何を思っているのか――だが幸村は、静かに顔をあげると微笑を口元に刻んでいた。

「ならば、この真田源次郎幸村、貴殿と仕合う日を約束いたしましょうぞ」

 ――迷いも、何も、もうござらん。

 互いに求めるのは雌雄を決することのみ――それを確認しあうだけの時間は、これ以上は要らない。

「ああ、楽しみにしているぜ」

 政宗は、ふん、と鼻を鳴らすと、顎先を反らせて口元に笑みを浮かべていった。










 幸村と佐助を見送りながら、白く染まる広野を見つめた。話し合ってから、彼らを二日だけ逗留させ、こうして見送っている。

 ――次に逢う時は、あいつの槍と向きあいてぇな。

 白く霞む視界の中で政宗は腹を抱えて立っていた。すると背後から、ふわりと温もりが降ってくる。鼻に嗅ぎなれた香の香りがしてきた。

「政宗様、お身体に障りますぞ」
「小十郎……、お、動いた」
「え…――?」

 背後から抱き締めてきた小十郎の腕に――彼の羽織の中に一緒に納まると、政宗は自分の腹に両手を当てて笑った。

「こいつさ、お前がくると動くんだよ。だからこの子はお前の子だ…俺はそうだと思ってる」
「政宗様…――」

 政宗の手に小十郎の手が重なる。一緒になって大きくなっている腹に手を当てながら撫でていると、小十郎は耳元に「これで良かったのですか」と訊いて来た。

「何、もう答えは出ていたんだ」
「――貴方様は、本当は真田に…」
「寝言言うなよ、小十郎。俺はお前が良い。お前以外は駄目だ」
「――……」
「あいつに抱くのは、ただ戦いたいと願う気持ちだけだ。これをどう現したら良いのか…それが難しいんだけどよ、言葉にならない事もあるだろう?」
「そうですね…」

 背後から抱き締める小十郎に背中を預けながら、政宗は空を見上げた。空には珍しく蒼空が覗いている。それなのに、はらはらと白い雪が待っていた。

「なぁ、俺、もっと一杯子ども生みたいなぁ」
「まだ一人目も生んでおらぬのに、何をおっしゃいますか」

 ――それに、政務が滞ります。

 身体の向きを変えて小十郎の首に両腕を絡める。大きなお腹が邪魔をして、小十郎が身体を折り曲げながら抱き締めてくる。

「でも俺はお前との子なら、何人でも欲しいんだけど」

 ふふふ、と口の中でくぐもった笑いを零すと、小十郎は呆れたように眉を下げて笑った。そして肩を押して政宗の瞳を見つめてくる。

「馬鹿を仰い。それに…また、手合わせをしに行くんでしょう?」
「――……」
「雌雄を決する為に。その牙を折りに」
「そう、だったな」

 ふ、と挑む時のように口元に笑みを刻む。瞼の裏には戦場が蘇る。静かに小十郎は政宗の手を取ると、手の甲に口付けた。

「貴女様に、この小十郎、何処までも付いてゆきます」

 政宗は頷きながら、ふと思い出したように口を開いた。

「春に…戦場で、花の下で酒を酌み交わしたな」
「そうで御座いましたな」

 春まだ浅い日、馬を駆って共に戦場へと繰り出した。思惑は外れたものの、共に花の下で酒を酌み交わした。

「また、酒でも呑みに行くか」
「ええ…勿論でございます」

 小十郎の腕に身体を預けながら、戦場に思いを馳せていく。はらはらと空には雪が――風花が舞っていた。
 春には花が舞う。でも冬にも花は舞う。

「なぁ、今日は雪見酒と洒落こまねぇか?」
「馬鹿を仰い」

 誘うように言った言葉を、小十郎は軽く往なしていく。儚く散る花のように、雪のように、思いも全て散っていけばいい。そしてまた春を再び謳歌すればいい。
 政宗は小十郎の首元に擦り寄りながら、その瞳に舞う雪を映しこんでいくだけだった。






 了





091012 end