この昏き淵より連れ出して欲しいと何度も願っていた。



 口の中が鉄錆の味で充満している。こんな味には慣れてしまったが、どうにもこうにも胸が悪くなる。

 ――ぺッ。

 思い切り唾液を吐き捨てると、黒っぽくなった血の塊が落ちてきていた。

「くっそ…才蔵の奴、思い切り殴ってくれちゃってさ」
「何か云ったか?」
「いいやぁ…仮にも頭によくも拳を上げてくれたもんだと思って」
「殺さないだけましだ」

 横から才蔵が腫れた頬を、冷やした手ぬぐいで拭いながら云う。

「俺様を誰だと思ってるわけ?」
「――…」

 さらさらと流れる小川のほとりで、忍同士で拳を交えて何をしているのかと問われれば喧嘩に他ならない。口の中を濯いで、再び吐き出すと佐助は玉砂利の上に腰を下ろした。

「簡単に殺されてなんてやらない」
「――貴様は首だけになっても、その牙を向けてきそうだな」
「よく解っているじゃない」

 才蔵が頬を冷やしたままで佐助の横に座る。そして声を潜めた。

「だが…あれは遣り過ぎだ。忍の領分を越えるな」
 ――殺戮者になるな。

 才蔵は忠告してくる。その一言で、佐助の表情が一気に固まり、まるで能面のようになった。

「そのままでは主と変わらぬ」

 昼日中の森の中で、私刑となんら変わらない行いをしたのは佐助だった。間者をそのままのさばらせて置くわけにもいかない。消すのは最もとしても、その仕様は見ていられなかった。
 今でもまだ才蔵の耳に、断末魔が響いて離れない。
 だが佐助は、はあ、と溜息を付きながら切れた口の端を指先で触れてから云う。

「今更、何言ってんの」
「――…」
「あの人のものになった時、すべて俺は受け入れたよ。あの人の為なら狂ってみせる」
「――莫迦め」

 ――うん、莫迦なんだわ。

 佐助が軽やかに笑いながら言うと、だったら泣くな、と才蔵の手が頭に下りてきて撫でてきた。その掌を感じながら、戦場の彼を思う。
 躊躇いを持たず、突き進む彼が、いかに残酷かを知っている。
 そしてそれを助ける自分は、どんなことがあっても彼に「それが間違っている」とは気付かせてはならない。

「大丈夫、俺は手を汚しても」
「佐助…――」
「大丈夫。旦那が、必要としてくれるのなら」




 俯いたままで呟きながら、自身の手が赤く染まっていくかの錯覚を得る。
 いつまでも鉄錆の味が口の中に広がって離れなかった。








090718/20111125
収容し忘れていました。