神様、もう少しだけ



 伊達の主だった屋敷とは離れた場所にある館――そこを治める女主人は陽気に鼻歌を歌っていた。細くしなやかな手元で編まれる花を見つめながら、政宗は「器用なものだ」と思わずにはいられない。自分のごつごつとした――刀を持つために潰した豆の、皮膚の硬化した手元とは違っている。

「花を召しませ、主様」
「おいおい、愛…いい加減、ままごとはやめておけ」
「そうは仰ってもこんな風に政宗様と過ごせるもあと僅かと思うと…」

 はらはらと涙でも流す勢いで、愛姫が口元に袖を運んでしな垂れる。向かい側には政宗が座り、気怠そうに嘆息した。
 それもその筈で、今、政宗は三人目の子を身籠っている。
 大きくなった腹を撫でながら、愛が愛しそうに頬を寄せる。それを我が子ともどもに抱きしめてやると、ふわ、と顔を上げて黒目がちの瞳を弧にした。

「さすがに十月ともなると御髪も伸びられて、心無し女子然とするというのに」
「Ah?」
「お口だけは、女子らしゅうとは参らぬのが貴女様らしゅうございます」
「皮肉かよ」

 け、と吐き出すと「はい」ところころと笑ってみせる。
 奥州筆頭・伊達政宗が女だというのは、一部の者しか知らない。そしてこうして子を身籠ると愛の屋敷に籠る――その間の政務はこの館からするが、ほぼ軟禁に近いとすら自分でも思っているくらいだ。

 ――女に嫁いだ愛、か…。

 幼い時に引合されて、その時の真っ直ぐな視線を未だに思い出す。将に武家の姫と言った彼女は、些細なことでは動じない大きな懐の持ち主だ。

「お前は本当に…椿みてぇだな」
「はい?」
「いや…真っ白なのによ、鮮やかで美しいっていうか」

 珍しく愛を抱きしめながら言うと、彼女はのそりと身体を起こして、眉根を寄せた。

「あまり珍しいことをおっしゃらないでくださいまし。愛は慣れておりませぬゆえ、不吉の前兆かと思ってしまいます」
「素直に受け取れよな」

 あははは、と笑うと同じように愛も笑う。事情を知っている間で、こんな風に打ち解けて話せる女子というのは愛くらいだから仕方ない。しかし彼女の美しさを目の当たりにしていると、自分の「女」の部分がいかに低いか思い知らされる。
 今だってそうだ――腹に子を宿していながら、片膝を立てて脇息に凭れている姿は、あまり品が良いとは言えないだろう。

「そうだわ、政宗様。新しい紅がありますの」
「今度は人形遊びかよ」
「ええ!お人形はいつもながら政宗様ですのよ?」
 ――よろしくて?

 にっこりと赤い唇が笑まれる。それを見つめながら、妹のような、友人のような、そして【妻】である愛に口元が緩む。
 いつまでも愛らしく、そして強くある彼女に、女子として生きられることで嫉妬したこともある。しかし最初の子を身籠った時には、本当に彼女に感謝したくなった。

 ――この奥州筆頭の俺がだ。

 唇に、ふわふわと彼女の指の腹が触れる。くすぐったくて、それでいて同じように唇を窄めてみせる愛に、ちょん、と指先にキスするように動かすと「まあ」と驚かれた。
 最初の子を身籠った時に、父親が解らず右往左往した――その時から恋仲だった小十郎なのか、はたまた一度だけの過ちを犯した真田か――それなのに彼女は凛として政宗に行ったものだった。

 ――その子は我が子、迷わずお産みくだされ。貴女様の痛みも、喜びも、この愛が分かち合うものでございます。

 普段は彼女との時間はこうも作れるものではない。こうして子を宿している間こそ、傍にいる時間が長くなるだけだ。そして最初の子も彼女が別邸で慈しんでくれているのを知っている。

 ――我が子にも、俺が母親ってのは秘密てのはなぁ…。

 それもどうかと思うが、周りの家臣団の決定なら仕方ない。というよりも、その方が安心できるというものだ。子供は素直な分、この事実を受け入れられるか解らないし、どこで口を滑らせるかもしれない。
 そんな風に考えている間にも、いつの間にか、はらはらと目元に紫色の花が散らされた。気付けば手鏡が向けられており、鏡の中には化粧を施した『女』が居た。

「如何かしら、政宗様」
「Oh…俺もやれば女に見えるじゃねぇか」

 素直に驚いていると、ころころと鈴を鳴らしたように愛は笑う。其処に障子戸が、がら、と開いた。

「邪魔するぞ、藤次郎…この書状の…」

 入ってきた珍客を観れば、見慣れた顔が其処にあった。政宗とは幼い時より一緒に過ごしている成実だ。彼は顔を上げかけて、ぽかん、と口を開いた。
 急な珍客に愛が眉根を寄せて振り返る。表向きには「夫婦」の数少ない時間に割り込んできた相手としか言えない。
 しかし成実はぽかんと口を開けてから、ごく、と咽喉を鳴らし、そのまま眉根を寄せると苦笑するように呟いた。

「馬子にも衣装…」
「成実、黙りゃ」

 ぴしゃ、と愛が眦を釣り上げる。あまり怒るな、と愛の背を撫でると、愛は瞬時に柔らかい笑顔を政宗に向けて微笑むと、居住まいを正して成実の方を向いて背を伸ばした。
 きつく怒られた成実はしぶしぶと肩をすくめて唇を尖らせた。ここでは彼女が一番力が強いとしか言えない。

「ご、ごめん…愛。でも本当に」
「成実…そんな為体では、あなたは何時までたっても奥方を持てなくてよ」
「えええええ?」
「言葉を飾ることくらい覚えたら如何?」

 裾を口元に持ち上げて笑う愛の瞳が笑っていない。
 ひやりとした空気の中に、ぱちぱちと静電気が舞うようなものだ。一触即発のような状況に、どうやって助け船を出すかと政宗が脇息に凭れる。

「あら、政宗さま…お疲れですの?」
「いや…おもしれぇと思って」

 ははは、と軽く笑うと愛はあからさまに唇を尖らせた。すっかり成実の存在は無視だ。彼はどうしようかと考えているようだが、結局退室も出来ずに座り込んでいる。

「面白い訳がありますまい」
「そうかなぁ…でもいつもの俺を知っていれば、成実の反応は至極当たり前の気がするんだけどよ」

 愛の背後で成実が大きく頷いている。だが愛は譲らない。

「それは殿方の勝手でございます」
「――…?」

 愛は、すい、と政宗ににじり寄る。そして大きく膨れた腹に手を添えて寄りかかる。

「こうしてあなた様がご懐妊の折だけは…愛はさびしゅうございませぬ」
「――…」
「ご出産されれば、何の躊躇いもなく、その御髪を切り取って、そして戦場に出てしまう貴女様…」

 確かに子を産んで直ぐに、御匙が止めるのも聞かずに戦場に出て行ったこともある。
 あの戦場の高揚に勝るものが他にあるとするなら、何を置いてもそれを取るが、今の自分には戦場が一番己を感じられる。
 それを思うと、複雑な気持ちにもなってしまうというものだ。
 長く伸びた髪を切り取り、その背に青い戦装束を掛けて飛び出る時、振り返りはしない。それでも愛は送り出してくれる。
 腹を撫でながら愛は長い睫毛を、ぱたぱたと動かした。

「散る御髪と共に女を捨て、雷を背負うその背も、愛は好きですけれども…御帰りを待つ身のわたくしにはこの時がどれほど嬉しいものか」
「愛…――」

 子等がいるお蔭で彼女は伊達の母として存在意義を見出せるとも言っていた。それを思い出しながら、こうして触れ合う日々もまた終わりが来ることを知っている。
 期間限定の、二人だけの時間は、いつも甘いだけだ。ここを飛び出せば伊達という大きな家を背負う位置に戻るだけだ。

 ――素直に、もって生まれた姿に戻れるのは、この時だけ。

 政宗もそう自覚している。それを見透かすかのように、愛は身体を起こして、そっと手と手を合わせた。

「でも、どうしても…あと少し、と願わずには居れませぬ」

 しん、と周りが静まる。政宗はただ手を伸ばして、愛の頭を優しく撫でた。ごつごつした手を、嫌がらずにいてくれるのは、たぶん愛と小十郎だけだとすら思う。

「いつも待たせてばかりでごめんな、愛」
「いいえ…わたくしは伊達の、伊達政宗の室でございますから」

 ――心得ておりまする。

 ねぎらいの言葉にも、染みついた武家の女としての答えを返す愛に、ただいじらしさが込み上げてくる。思い切り両腕で引き寄せると、きゃっきゃっ、と楽しそうな声を上げるものだから、調子に乗っていると「あのう」と成実が声を掛けてきた。

「何だよ、成実。邪魔すんなよ」
「藤次郎、あのさ…俺もそろそろ政務に戻りたいんだけど」
「戻れば?」
「だーから!この書状の内容を確認に来たんだっての」

 立ち上がりかけた成実の背後から、見知った姿が現れた。彼を観て政宗が、ぱっと表情を変える。

「失礼いたします、成実様、政宗様、愛様」
「小十郎っ!」

 姿を現したのは小十郎だ。政宗が座ったままで手をぱたぱたと動かす。手招きしている姿に、す、と一度彼の視線が柔らかくなったが、そのまま成実に視線が注がれた。

「成実様、お早くお戻りくださいませと伝達が」

 成実は眉根を寄せて嘆息した。そして手元の書状を政宗に向けて差し出そうとすると、その間から小十郎が割り込んできて書状を受け取った。

「おい、小十郎。それを藤次郎に聞かないと」
「いいえ、今は奥方とのお時間…もう暫くしてからお渡ししましょう」
「さすがは小十郎じゃ。話の分かる男よの」

 ころころ、と愛が嬉しそうに解る。その反面、成実は渋い顔つきだ。そして「また後でな」と言って退室してしまった。そうなるとこの部屋には政宗を挟んで、小十郎と愛だけになった。

「小十郎、小十郎。こいつさ、たぶん今度は男だと思うんだけど」
「若君でも、姫君でも、どちらでも構いませぬ。政宗様ともどもご無事であれば」

 間をおいて座る小十郎を何度も手招く。その度に距離は縮まるが、全く近くとはいかない。これが戦場ならば、背中合わせくらいには近づくし、閨では密着しているのに、と不平を漏らしたくなる。だが今日の小十郎はいつもよりも落ち着かない様子だった。

「hey、お前、どうした?なんかおかしくねェ?」
「いえ…その…」
「言ってみろっての」

 政宗が嘆息しながら、独眼を向けると小十郎は口元に拳を当てて咳払いをした。そして愛をちらりと見やってから「失礼」と告げる。

「こうしてみるとその…政宗様が輝いて見えまして」
「は?」
「いつも以上に美しいと申しますか…愛様も愛らしゅうございますが、小十郎の眼にはそれはそれは政宗様が絶世の美女のごとく…もう少しだけ、観て居たいと」
「…もういい」

 ぼわわ、と頬が熱くなる。それと同時に腹の中から子が蹴ってきて、いて、と声を上げてしまった。

「あらあら、てて親が正直で、御子までもあてられたようですわね」
「愛ぉ…」

 ころころと笑う愛を、ふん、と鼻息も荒く抱きしめながら、政宗は二人を見比べた。そして二人を順番に呼ぶと、愛も小十郎も顔を上げた。

「お前ら、もう少し、とか言わずに」

 政宗は愛しい二人を前にして、すっきりとした口調で告げる。

「一生、俺の事だけ見てろよ」

 政宗の言葉に、二人が大きく頷いていく。そんな二人を見つめながら、ただこうして過ごす時間を愛しんでいくだけだった。








20111125
「舞う花びら、その先に」の数年後のお話でした。