ぼくの小さなおひな様



「灯りをつけましょ、ぼんぼりに〜」
「おはなをあげましょ、もものはなぁぁぁ…この後はなんであったか、さすけ?」

 飾り終えた七段の雛飾りを見上げて空になった箱を片付けていると、幸村が小首を傾げた。幼女にしてはこぶしを利かせた謳い方をするな、と思いながら、佐助は片付けの手を止めた。

「五人囃子の笛太鼓、だよ」
「そうであった!」

 幸村は大きな瞳を、ぱちり、と動かしてパッと明るく笑顔を見せる。そんな仕種を見詰めながら、かわいいなぁ、と思わず鼻の下が伸びてしまう。

「お雛様の時にはちらし寿司に蛤のお吸い物、それから甘酒にひなあられ…菱餅も忘れられないねぇ」
「なにやら、ご馳走の気配だなっ」

 幸村は佐助の膝を小さな手で、たんたん、と叩いた。そして正座している佐助の膝に肘をつきながら上半身を乗せると、ぱたぱたと足を動かす。そのまま大きな瞳を雛壇に向けていく。
 長い睫毛がくるんと上に動いて、ふっくらした頬がほんのりと桃色に染まる。
 着ている紅いワンピースから、少しだけむっちりした足が伸びては、ぱたぱたと動いていた。

 ――かわいいなぁ。

 初めて見たときから可愛くてならない。壊れやすいものを大事に扱うように、ふわふわの真綿で包み込みたい気持ちにさせられる。
 ふわりと頬を染めて見上げていた幼子が、くるん、と首をもっと反らして佐助を見上げる。

「のう、さすけ」
「なぁに?」
「おひな様の、意味はなんなのだ?」
「え…意味?」

 はた、と目の前がクリアになる。真顔で問われると思考が固まってしまった。意味と云うのは何を指して説明したら良いのだろうか。

 ――雛祭の起源?速く片付けないと嫁に行きそびれるとか…それとも。

 どう説明しようかと思考をめぐらせていると、幸村は小さな指で下から三段目の、三つの人形を指差した。

「この爺ぃじは、なんというのだ?」

 幸村の問いに、それぞれの人形の役割を知りたかったのだと気付く。佐助は直ぐに幸村の脇に手をいれて引き上げると、自分の膝の上に座らせた。そして小さな頬に自分の顔を寄せると、同じ目線になりながら説明し出した。

「あれは三人仕丁、その上が右大臣・左大臣、五人囃子、三人官女、それから…」

 視線を上に向けていくと、真横の幸村もまた同じように視線を上に向けている。頂上にはひっそりと並ぶ男女の人形がある。佐助が口を開きかけた時、それを遮るようにして幸村が両手を一番上に向けて伸ばした。

「おひなさまと、おだいりさまだな!」
「そうだよ〜。よく知っているね」

 にっこりと真横で笑いかけると、幸村の小さな唇がきゅっと閉じられた。そして幸村は大きな瞳をじいと佐助に向けてくる。

「――…ッ」
「幸ちゃん?」

 どうしたのかと覗き込むと、佐助の視線から逃れるように瞳を伏せた。長い睫毛が、ふくふくとした頬にうっすらと影を落とす。そして彼女の頬が徐々に桃色に染まっていく。

「あのな、その…ぅ」
「うん?」
「お、お、おだいり、さまは…」
「うん」

 むぐむぐと小さな口を動かして下唇を噛み締めながら話すのを、じっと待っていると、幸村は小さな指先をもじもじと組み合わせた。
 佐助は変わらず覗き込んでいる。すると意を決したように幸村が、ぎゅう、と瞼を引き絞った。

「おだいり様は、だんな様だと、まつ先生が言っておったのだ。だから…ッ」

 一気に――だが、たどたどしく言う幸村の声音が、しゅん、と語尾に掛かるにつれて力を失くす。伏せていた瞳が上に向いて、佐助の表情を伺ってきた。

「某の、おだいりさまは…さすけだと思うのだが」
「――……」

 じ、と今度は瞳を反らさずに幸村が見詰めてくる。佐助もまた一度瞳を見開いてしまった。幸村の言いたいことは、と考えると一つしか思いつかない。
 碧色に翳る瞳を、す、と細めて口元に笑みを作る。いや、作るというよりも自然と込み上げてきた。佐助は膝に乗せていた幸村の肩口から顔を起こすと、上から見下ろすように背を伸ばした。幸村は佐助の動きを追いながら、首をこくんと上に反らした。

 ――ちゅっ。

 上に向いた瞬間に、ひらりと覗いた額に口づける。小さな幸村の額は、まるでマシュマロのようだった。ふわりと佐助もまた桜色に頬を染めながら、佐助は瞳は三日月になるくらいにまで細めて言った。

「俺様のお雛様は、幸ちゃんだもんね」
「うむっ!」

 佐助の言葉を聴いた瞬間、幸村の頬がふんわりと膨らんで笑みを浮べる。桃色を通り越して真っ赤になる頬が、光を受けて真珠のような粒をつくる。
 幸村は上機嫌で「ひなまつり」の歌を歌いだした。それを見守りながら、佐助もまた片づけを再開していった。











 片づけを終えてから、ほんのりと雪洞に灯が灯るのを見詰めてから、佐助は幸村の手を取ると、部屋を出ようと入り口まで一緒に歩いた。すると幸村が思い出したように佐助の手を、くいくいと引いた。

「さすけ」
「なぁに?」
「おだいり様はさすけで、それがしがおひな様だな」

 もう一度確認するように幸村は見上げてくる。必死な素振りが愛らしくて、うん、と頷くと幸村は胸を張った。

「まつ先生がな、あの三人官女のひとりは結婚しているのだと言っておった。だから、まつ先生と、つるひめ先生、それから、まごいち先生なのだ!」
「え?」
「うだいじん、さだいじんは…ちちうえと、おやかたさばだ!」
「ゆ、幸ちゃん?」

 ぱっと手を離して、ぱたぱたと動かす。しかし直ぐに幸村は悩む素振りを見せて、小さな足を止めて雛段を振り返った。

「ぬ…そうするとあにうえの位置が…」

 ――確かに忘れられたら信幸さん、可哀相…

 佐助はあの妹を溺愛している兄を思い出して、はは、と苦笑した。しかし幸村は真剣に悩んでいる。

 ――つん。

 幸村の小さな頭を指先で突くと、くるん、と振り仰いできた。佐助はそのままの勢いで幸村の身体を抱き上げると、よいしょ、と声をかけながら抱っこした。

「そこら辺にしてご飯にしようか。今日はハンバーグだよ」
「まことかッ!」

 小さな幸村の手が佐助の頬に触れる。
 佐助よりも幾分も熱い掌が、佐助の頬に触れて、じんわりと暖めてくれるようだった。

「ちゃんと人参はうさぎさんにしたから、しっかり食べてね」
「う、うむ!頑張るでござるっ」

 ぐ、と唇を引き結ぶ姿が、元気な幸村には調度良い。幸村のハンバーグコールを聞きながらリビングへと足を向けて行った。










 雛祭の当日には、ちらし寿司に蛤のお吸い物、ひなあられに、米麹の甘酒、それに菱餅を用意してお祝いしてから、寝入った幸村の枕元で佐助が日付け変更を待ち構えていたのは後日談である。
 日付けが変わると同時に、素早い動きで全ての飾りを片付け終わった佐助が、翌日幸村に「速くお雛様になってね」と言ったのは秘密のお話。






 了



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