紅葉賀 小さな手を取って頬に寄せて彼は言った。 ――姫さんの手は小さいね。 夏が過ぎて秋が訪れ、そして冬を間近にした晩秋のことだった。彼は周りの冷え込みとは打って変わって薄着をしていた。その少ない衣服に、身分や、立場の違いを感じながらも、どうして彼は冷えているのだろうかと、小さな手をぺたぺたと彼の頬に触れさせた。 ――佐助、佐助、某が暖めてやるからな! 冷える夜には側にいて抱き締めてあげる。この両腕が小さくても、彼を包むことが出来なくても、それでも彼を暖めてあげたかった。 だが必死になればなるほど、彼は小さな己の手を取って、まるですっかり温まったかのような笑顔を見せてくれた。 ――まるで紅葉だ。 はらはらと舞い散る紅葉に、彼は瞳を細めて言った。そんな彼の首元に抱きついて、抱え上げられながら一緒に見た空は、いつまでも燃え盛るように赤く染まっていた。 ――はら、はら、はらはら。 冷え込む空気に己の吐く呼吸が荒い。息が白く染まるこの晩秋――その最中での戦は、冷えこみに長期戦は躊躇われた。冷えると手足の動きが鈍くなってしまう。 幸村は辺りを走りこみながら、ただ只管探した。 ――何処だ、何処におる? 周りには冷気が立ち込めている。時折燻るのは己の生み出した焔でしかない。その最中に、赤く染まる視界――左目の上から落ちてきた血糊で、視界が赤く染まる。 ――何処だ、何処だ! この戦場で離れたのはほんの四半時ほど前だ。それなのに戦況は一気に動いてしまった。熾烈を極めた後方に幸村は足を向けていた。 敗戦――その色の濃いこの戦場で探す相手は中々見つからない。いつもならば直ぐにでも状況方向に現れるその姿が、今はない。そのことに不安さえ覚えていた。 「何処に…ッ」 がふ、と走り過ぎて胃の腑が疼いた。立ち止まって数度、嘔吐すると幸村は口元を拭った。気付くと辺りは沼地になっている。 少しだけでも気を抜くと力が抜けてしまいそうだった。消えそうになる意識を繋ぎとめて、幸村はただ走り、そして彼を探した。 胃の腑から込み上げてくる鉄錆の味も、饐えた胃液も、どうでも良かった。 顔を起こして見た沼地の合間に沢山の死体が転がっていた――そのどれもが斬り込まれた死体で、自ずと幸村の足はゆっくりと動き始めていた。 「――…」 はらはら、はらはら、と空からまるで手向けのように赤い葉が零れ落ちる。それを見上げてから、幸村は推し進めてきた足を止めた。 ――ぱしゃん。 小さく跳ねた水――その小川を越えて、薄野原に濃い血臭があった。そして其処を中心として遺体は放物線を描くように転がっている。誰の、どんな得物で、その遺体が築かれたのかなど、説明するまでもなかった。 ――がさ。 薄を選り分けて、幸村は小さく咽喉を鳴らした。 「佐助…――」 其処には一人の忍――だった筈の彼が横たわっている。仰向けになって、そして幸村からは見えないが、彼の半身が全て赤く染まり血臭を放っている。 「――…」 呼びかけても応答はない。 幸村は佐助の傍らに向うと隣に座りこんだ。そして彼の左手を取ると、かしゃん、と手甲を外す。その際に、べたりと血がこべりついてくる。すでに彼の手は赤く、その指の何本かは失われていた。 「冷たいな、佐助。私が暖めてやろう」 ――昔のように。 告げても返答はありはしない。それは解っている――解っていても彼の手を取って、そして肌を温めたくて仕方なかった。幸村は崩れ落ちるように彼の隣に体を横たえた。 幼い時分に彼は冷たい手をして、肌をして、そして幸村に微笑みかけてくれた。この己の手を、血に染まった手を変わらずに、紅葉のようだと言いながら、頑なに握り返すことはしなかった。 ――だって旦那と俺じゃ、身分が違いすぎる。 切羽詰って彼に告げた想いは一蹴された。それでも何度も何度も好きだと告げて困らせてきた。 だがその一回でも、彼からは触れることはしなかった――指先にすら。 ――俺は旦那を護るだけでいい。 そう言って出陣する時、彼の後ろにはらはらと赤く紅葉が散っていた。それがまるで彼自身が赤く染まってしまうかのようで、佐助から腕を廻してくれることはないと知っていても、幸村は抱き締めることしかできなかった。 そして今、視界には赤い葉が散る。はらはら、はらはら、と散り、そして佐助の体を覆っていく。 「皮肉なものだな」 ころり、と幸村は体を寄せた。そうして身体を動かすと余計に血臭が濃くなったような気がした。 「お前と手を繋ぐは、これが初めてか」 幸村はそういうと昔自分にしてくれたように佐助の手を頬に当てて、自分の首にかかる六文銭を握りこむと、寄り添うようにして瞼を落としていった。 瞼に焼きつく赤い葉、そして肌に触れる愛しい人の感触、遠くに聞こえる戦の音――それらが閉ざされるまで、ただ二人は薄野原で手を繋ぎあっていくだけだった。 はらはら、はらはら、と赤い紅葉が降り注ぐ。二人の門出を照らすかのような赤だった。 了 100929/101003 up 御伽噺のように。佐幸版も準備中 |