恋小紅 ――とん。 「旦那、ちょっと御免ね」 町へと佐助と共に赴いた時、すれ違った拍子に――見惚れるように佐助が振り返って、そして幸村の肩を、とん、と突いた。 ひらりと振り返るその間、佐助の駆け出す後姿が、遠く、遠く、どこまでも遠くに感じてしまった。 ――はらり。 佐助は地面に落ちた、小さな花の簪を手にして、先程すれ違った女子の元に駆け寄った。そして肩に手をかけて、簪を渡す。 「――――…」 その光景をただじっと立ちつくしてみているしか出来なかった。 ぎゅ、と握りこんだ手にあるのは、先程甘味屋で買った団子が少し。目の前では、ひらひらと可愛らしい春の色に包まれた女子と話している佐助がいる。 手元の団子と、目の前のひらひらとした女子――それを見比べると、自分がいかに幼いのかと、気恥ずかしくてならない。普段は気にすることもないのに、どうしても同じ年頃の女子たちを見ると、時折苦しくなってしまう。 ――早く…早く、戻ってきておくれ。 一人の瞬間がやけに長かった。 同じように脚を一歩進めればいいだけなのに、どうしても動かなかった。足の裏から地面に根が生えてしまったかのようだった。 何やら袖を引かれて、困った顔で佐助が戻ってくる頃には、噛み締めた唇から、じわり、と鉄錆の味がするようになっていた。 「どうしたの、旦那ぁ?」 邸に戻ってから、茶を持って来た佐助が、縁側に広げた団子に手を伸ばさないで俯いている幸村に問いかけた。 今日は美味しいと評判の甘味屋に一緒に行ってきたばかりだった。団子を買うまでは幸村はとても嬉しそうで、どの味にしようかと眼を輝かせていたほどなのに、いざ買ってきて目の前に広げたら、何やら思い悩んでしまっている。 「折角買ってきたのに、もったいないよ?」 一本を手にして、幸村の口元に向ける。すると幸村は眉根を寄せたまま、ぎろりと佐助を睨み付けた。 「やはり佐助も、女子はふわふわしていた方が好みか?」 「ん?ん〜、そうだね、柔らかくて良いよね。可愛いと思うよ」 「そうか…――」 突然のことに佐助は当たり障りないように答えたつもりだった。だが、佐助の答えを聞くと、再び幸村は俯いてしまった。 齢若い女子としては地味な――いや、男物ともとれる羽織を羽織り、肩身を狭くしている姿は、どうしたものだろうか。 ――何が気に障ったんだろう? 佐助は今日の出来事をあれこれと思い出していく。だがどれも彼女の勘に触るものはなかったと思う。困り果てて、腕組をした瞬間――かたり、と袖口に硬い感触が触れた。 ――あ、忘れてた。 佐助は声を上ずらせながら、袖の中から幸村の目の前にそれを差し出した。 「そうだ、旦那、これお土産」 「何だ?」 「開けてみてよ」 ――ほら。 とん、と幸村の手を取って、小さな巾着包みを手渡す。幸村はそれをじっと見つめてから、ゆるゆると紐解き、中から小さな蛤を取り出した。 「紅…――」 「そ。あんまり可愛くて、気付いたら買ってたんだ」 幸村の手には、蛤がひとつ。開いてみればそれは紅で、貝の外側には梅の絵が描かれていた。愛らしい化粧道具で、女子なら誰もが可愛いと言って悦ぶような代物だ。 佐助はこれで機嫌を直してくれるだろうと、にこにこしながら幸村の反応を待った。 だが、幸村はしずかに蛤を片付けると、つい、と佐助につき返してきた。 「――…某には似合わぬ。これは、かの女子にでもあげれば良かろう」 「え?ちょっと…何言ってんの?」 素っ気無い素振りに、かちんと来る。佐助が語尾を微かに荒げていうと、幸村は今にも泣き出しそうな顔を――ゆがめた顔で佐助を振り仰いだ。 「――…だって」 言い訳をしようとする幸村の手に、佐助は再び巾着を包み込ませた。そして幸村の手を、ぎゅうと握りこんで口を開いた。 「あのねぇ、言っておくけど、俺様、女の子は可愛いと思うよ?でも、そういうのに慣れた――化粧に慣れた女の子は怖い」 「え…?」 大きな瞳をぱちぱちと幸村は動かした。それと同時に、くるりと上を向いている睫毛が一緒に動いていく。 「女は嘘を塗りこめるでしょ?綺麗にしている子ほど怖いって」 ――だからそんなに移り気じゃないっての。 佐助が吐き捨てるように言う。そして瞳を起して、真面目な顔つきで幸村を覗き込んだ。 「見境無く動くような男じゃないよ、俺」 「――…ッ」 とくん、と幸村の鼓動が早くなる。薄めの唇をきゅっと引き絞ると、頬を仄かに染めながら、幸村は小さく頷いた。そのまま俯いてしまうものだから、佐助は片手をひらりと幸村の頬に添えて仰向かせる。 「それに」 幸村の真っ直ぐな――大きく綺麗な、光を弾く瞳と、佐助の視線がぶつかる。親指を、つ、と唇に添えると、幸村は瞬きを忘れて佐助を見つめてきた。 「どんな白粉をはたいたかんばせよりも、赫く染まるかんばせの方が、よほど華があって好き」 戦場での幸村は赤い戦装束を身に纏う。そして赤赤とした焔さえも味方につけて戦う。その瞬間の――壮絶なまでの輝きは、他の何物にも替え難いものだ。 佐助の言わんとしていることに気付いて、幸村が困ったように笑った。 「お前も大概もの好きだ」 「そう?」 小首を傾げながら、そっと幸村から手を離すと、幸村は再び巾着の中から蛤を取り出した。そしてそれを開いてみせて、ふむ、と唇を尖らせる。 「で?これは化粧をしない私への当て付けか?」 「え?違うって、違うよ」 「では…――」 横から佐助が手を伸ばした。そして、ひょい、と蛤を取り上げると、薬指に掬い取る。何をするのかと見つめていると、流れるような動きで彼の手が動き、顎先を掴まれた。 ――すぃ。 静かな動きで幸村の唇に紅を刷き、佐助が「うん、やっぱり似合う」と満足気に頷いた。 「この紅、旦那の色だなって思って。そう思ったら可愛くてさ」 「――――…ッ!」 「ほら、女の子は裏を読みたがる」 にや、と佐助が厭な笑いを見せた。だがその表情はやたらと扇情的で――しかも間近に整った彼の顔があるのだ――幸村は瞬時に頬に朱を上らせた。 「旦那もちゃんと女の子だね」 「ううぅ…――ッ」 いつもは女子扱いしないのに、こういう時だけしっかりと男の顔をする佐助に、唸ることしか出来ない。 「あ、お茶冷めちゃったね。淹れ直してくるよ」 「あ、ああ…」 幸村が真っ赤になりながら巾着を握り締めていると、佐助は「大切に使ってね」と耳打ちしていった。 幸村は佐助の後姿を見つめながら、囁かれた耳に手を当てた。あの時、脚が動かなかったのは、気後れしていただけではない。 佐助が遠くに行ってしまったようで、それが寂しくてならなかった。だが今、其れを伝えるのは何だか癪に障る。 「この気持ちは何なのだろうなぁ…」 ――苦しいものよの。 ふう、と火照る頬に手を当て、佐助の触れたように唇に指先を触れさせると、幸村はじたばたと脚を動かして悶えるだけだった。 了 091210 AMKさんのメモネタに触発されまして。 |