熱帯夜 じっとりとした夏の空気が肌に染み渡る。 元就は夏の訪れを肌で感じながらも、そっと薄絹を一枚手繰り寄せた。暑い時期に、暑いからと言って衣服を脱ぎ払うより、薄絹一枚足して影をつくった方が涼しく感じる。 肌を隠してしまったほうが、随分とホッとするものだ。 じわじわ、みんみん、と蝉の声が響く中で静かに書物を捲っていると、遠くからバタバタと歩く音が混ざってくる。 歩く足音からして、誰が来たかを特定できてしまう――予想が外れなければ、あの足音の主は長曾我部元親に相違ないだろう。 だが足音が聞こえたからと言って、元就はそのまま本の頁を捲る手を休めはしなかった。 元親が真っ直ぐこちらに向ってくるはずはない。それは此処最近の彼の行動パターンから容易に想像できることだった。 ――よく、言いつけを護っておることよ。 梅雨時期のじめじめした暑い日に元就が言ったことが原因だった。そもそも元親は海からそのまま元就の元に来た。暑い日だ、汗をかかないはずも無い。それに加えて潮の香りも漂う――時間が経てば経つほど、元就は耐えられなくなって言ったのだ。 ――我の元に来る時には、その磯臭さを薙ぎ払ってから来い。 そう言ってからというもの、元親はその言いつけをしっかりと護る。だが勝手知ったる様相で元就の邸宅にくると、真っ先に湯殿に向うのだ。そしてそれを家臣たちも心得てしまっているから始末に負えない。 「さて、今宵の肴は何であろうな…」 ふと元就が呟く。たぶん元親は海の幸でも獲って来たに違いない。 「変わり映えせぬもまた一興…」 ふふ、と咽喉の奥で笑うと、元就は再びしずかに書物の頁を捲り始めていった。 訪れを感じてから半刻程経った後、りぃりぃ、と夜に夏虫が鳴くのを聞きながら、そっと脇息に凭れる。するとさっぱりした顔に、白い、涼やかな格好をした元親が膳を手にして入ってきた。 「よう、元就」 「ほう、今日の肴は酢味噌和えか」 「さっぱりして良いだろ?」 膳を持って来た元親の手元を覗き込みながら、元就が言う。彼がこうして私用で訪れる時には、縁側に出て食事を取る。それもいつもと違って心躍るものだ。 ――すん。 鼻先に、潮の香りとは違う、花のような香りが過ぎった。元就が小首を傾げていると、隣にふわりと元親が座る。 ――すん。 再び鼻先に、甘いような花の香りが過ぎる。盃を重ねながら、幾つかの話をしながらも、時折鼻先に甘いような香りが過ぎていって、元就は小首を傾げた。それもどうやら、元親が動く際に香るようだ。 「のう、長曾我部。お前、香でも焚いてきたか?」 「香?いや、俺はそんなの焚く筈ねぇだろ」 「そうさな…」 そんな気の利いたことをする筈はない、と踏んで元就は自分の盃を傾けた。口に入れる食事は活きが良くて美味しいと感じる。夏場は食欲が失せるのが通例だが、元親が度々こうして土産を持ってくるので今年は食が細まることもない。 元親が動くたびに鼻先に香る香りに元就が眉を潜めると、元親は自分の腕を持ち上げて、すんすん、と匂いを嗅いでみてから小首を傾げてみせた。 「なんだよ、匂うか?磯の香りは洗い流してきたぜ」 「我の館の湯殿を使ってな」 「だって近くに汗を流せる場所なんてねぇだろが」 「水でよいではないか、水で」 「あのなぁ、山水は冷たいんだぜ?」 淡々と他愛ない話の応酬をする。 ――ふわり。 何処か甘いような、花のような香りが鼻先に過ぎる。元就は重ねていた杯を膳の上に置き、身を乗り出した。 「――…やはり、香るな」 「そうか?」 鼻先を元親の首元に向けて、すんすん、と鼻を動かす。すると元親は「犬みてぇだ」と擽ったそうに笑った。 「貴様、鼻が可笑しいのではないか?」 「そんな事ねぇって」 元親はしきりに知らないと首を振った。元就もそうなると追求する気概も損なわれて、居住まいを戻した。そして再び膳の上の汁物を見つめて――既に中身は空になっているが――もう一つの疑問をぶつけてみた。 「もう一つ、聞いていいか?」 「何だよ」 「この夕餉の…若芽と蟹…いずこで獲って来た」 「ん?」 元就が空になった椀を指差す。そのまま切れ長の瞳をさらりと流してみると、元親はわざとらしく笑顔になった。 「正直に申してみよ」 元就が追求を更に強めるが、元親はそのまま笑顔で答えた。 「んーと、厳島?」 「貴様…」 ゆら、と元就が立ち上がる。それを見上げて元親は身振り手振りで説明した。 「いいじゃねぇか。引き潮でそこら辺にうようよ居たんだからよ」 「だからと言って、神聖なる場所の…」 「食ったくせに!」 「出されたものは有難く頂くが礼儀であろうが」 「だけどよぅ…活きがいいほうが旨いじゃねぇか!」 ずいずいと推して行く元就に元親が反論していく。そうして元親に近づくと、再び元就の鼻先に甘い香りが過ぎった。 ――すん。 くい、と元親の胸倉を掴みこむ。そして鼻先を埋めながら、元就は眉根を寄せた。 「本当に貴様、香は焚いておらぬのか」 「焚いてねぇって」 ぶんぶん、と元親は首を振る。だが元親の衣服からは何の香りもしない――かすかにあるのは糊の香りくらいだ。だがその奥に――直に、肌から甘い香りがするようだった。 「しかし…こうもよう香ると…」 「――…」 元就が眉根を寄せて、すんすんと鼻先を動かしている間に、そっと元親の腕が元就の腰に絡んできた。観れば膝立ちになって首元に鼻先を埋めていた訳だが、元就は顔を起して問いただしてみた。 「何だ?」 「お前さ、無防備にも程があるだろ」 「あ…?」 する、と元親の鼻先が胸元に触れる。きっちりと着込まれた襟を崩そうとして動くが、中々それは敵わない。そっと元就が元親の頬に手を当てると、元親は気持ち良さそうに瞳を細めた。 「元就…お前、冷たい身体してるな」 「お前は暑苦しい」 ぐい、と腕を突っ張って引き剥がそうとしたら、ぐい、と胸元に引き寄せられた。そのまま彼の――元親の厚い胸板に顔を埋めていくと、覆いかぶさるようにして、さらり、と元親の髪が頬に触れてきた。 「そう言うなや…ちょっとは夏らしく、暑くなってみねぇか?」 元親の指が動いて、さら、と元就の肌に触れていく。元就は、はあ、と深く嘆息すると、庭先に視線を動かした。 昼間の、熱した大地の匂いを含んだ風が、さらさら、と肌に触れてくる。 「今宵は良い風が吹いて居ると言うのに、熱帯夜にしてくれるつもりか」 「ま、そんなとこ」 半ば諦めつつ首を廻らせると、直に元親が覆いかぶさるようにしてしてくる。元就はそれを受け止めるようにして、そっと腕を伸ばして彼の首を引き寄せていった。 細い内股に大きな掌が宛がわれ、ぐい、と拡げられる。中に穿たれているものも熱いが、触れられる箇所が何処も彼処も焼けるようだった。 仰向けになりながら、冷たい場所はないのかと、元就は手を動かしながら、自分の額にかかる髪を掻きあげた。 「ん…あつ…――ッ」 「夏が暑いのは、当たり前だろ」 呟くと、ぐ、と元親の顔が近づく。それだけで熱さがかなり増したように感じた。思わず元就は腕を突っぱね、彼を追いやるように動かした。すると、ぐぐ、と深く打ち込まれて息を飲んでしまった。 「それはそうだが…ァ、ッ」 ぐ、ぐ、と緩急をつけて穿たれる間に、ひたり、と元親の肌が触れてくる。彼の肩が鼻先に触れて、かすかに汗のにおいが過ぎる――だがその中に、ふわり、と甘い花のような香りがしていた。 「ん…――ッ、っく」 声を出すのはあまり好きではない。だから唇を噛み締めてしまうが、それに気付くと元親がすかさず指先を唇に寄せてきて、噛み締めるのを辞めさせようとする。 「お前、また噛んでる…」 「聞かせたい、声、ではない…」 「俺は聞きたい声だけどな」 「嬌声など…誰が…ッ」 指先が口に入り込んでくるが、元就は顔を背けて逃れた。すると今度は元親が足を持ち上げて、ぐぐ、と腰を進めてくる。下肢からは、ぐちゅ、と濡れた音が響くだけだ。 「はは…やっぱりこういう時は、お前も熱いな」 「――…ッ」 「お前も、やっぱり熱くなるんだなぁ…」 「元親…」 元親の言葉にハッと顔を起す。そして元就は徐に元親の耳を掴みこんで、ぎゅうううう、と強く引っ張った。 「ん?って、いだだだだだッ」 「も、とは何だ?も、とは!比較するべき相手は誰ぞ?」 穿たれたままで上体を起して元就は元親を睨みこんだ。 夜半の、それも夏の夜だ。誰が好き好んで肌を重ねているというのか――それも相手は男。それなのに、他の誰かを示唆するような物言いをされて、かちんときた。 「大方、お前の身体に染みこんだその甘い香り…女のものであろう」 「違うって」 足を広げて彼を受け入れたままの体勢で、ふん、と鼻を鳴らした。かすかに息が上がる。高揚する下肢とは逆に、頭には怒りのようなものが込み上げてきていた。否定する元親までが疎ましくなってしまう。 「ならば言ってみるがいい」 「ってかさ、元就」 ひっぱられた耳を撫でながら、次の瞬間には再び背を畳みの上に引き倒されていた。そして足を抱え上げられ、入り口を何度もすり合わせるようにして抜き挿しされる。 ――くちくちくちくち。 細かく入り口だけを刷り込まれ、濡れた粘着質な音が細かく音を立てていく。まるで粟立っているかのような感触が、背中に走りこみ、元就は背を撓らせた。 「なん…――っひ、あッ」 「それ、嫉妬って知ってる?」 「あ、あぁ、ッ、そんなの…――」 がくがく、と身体が小刻みに揺さぶられる。更に胸が、元親の熱い胸に触れて――肌と肌が合わさる熱に、ぼう、と思考さえも蕩けそうになっていく。 「いいから今は黙ってな」 「――…ッ」 言い様に元親の唇で、口元を覆われた。それを合図として、下肢から走ってきた電流のような快感に、元就は思考さえも持っていかれるだけだった。 目を覚ますと、肌を夜半に曝け出した元親が、静かに側で頭を――肩を撫でてきていた。 「暑い…風が来ぬ」 「起きたか?」 「暑いのぅ…夜だというのに」 元就は珍しくだらだらと畳みの上に転がりながら、薄衣を自分の肩に引き寄せて丸くなった。それを見下ろしながら元親が笑う――月に晒されて元親の笑顔が蒼白く光っていた。 「そうしていると貴様、涼しげよの」 「俺にはお前の方がいつも涼しげに見える。でも…お前も、さ。熱くなるんだな」 さらさら、と撫でてくる元親の手を、ぱん、と払った。そして身を起すと、元親は苦笑した。 「言っておくが、お前に嫉妬されるようなことはしてないからな」 「どうだか…」 「俺は、お前も人並みに熱くなるんだな、って言いたかっただけよ。俺だけ、いつも熱くなって…高揚するのは俺だけみたいな気分になるからな」 元親は静かに話す。そうすると潮で掠れた彼の声が、耳に子守唄のように響いてきて、頷きそうになってしまう。一方通行の気持ちは切ない――それを感じていたのは、自分だけではなかったのだろう。だがまだ疑念は消えない。 「ではその甘い香りは…」 「知らねぇけど、心当たりといえば、湯殿借りた時に花びらが一杯浮かんでたからな。風呂のせいじゃねぇ?」 「――…」 元親は、他には考え付かない、と肩を竦めて見せた。そうなると、勝手に嫉妬して熱くなっていたという事になる。恥ずかしいものだ、と思いつくと、元就は大仰に溜息をついてから、元親の側に起き上がって座り込んだ。 ――りいりいりい 虫は既に秋の様相を奏でているのに、中々涼しくはならない。空には降って来そうなほどに星がいくつも瞬いており、まだ夏の空を映している。 「なんと他愛ない。それにしても暑い…」 元就はそれを見上げながら、こつん、と頭を元親の肩に寄せた。そのまま上目遣いになりながら見上げていると、元親は闇夜でも――月明かりで明るいが――解るほどに、ほわりと頬を赤らめた。 そして照れ隠しに、俯いてから、がしがしと後頭部を掻くと、その手を元就の肩に当てて引き寄せる。 ――ふわり。 元親の肌の熱さ、それと甘い香りにうっとりとしてしまう。ゆっくりと瞼を落としながら、再び「あつい」と呟くと、元親はより一層元就を引き寄せていく。 「局地的な熱帯夜だからな」 「我は早う、涼しくなって欲しいものよ」 しみじみと告げると、元親は残念そうに唇を尖らせた。そんな彼に更に追い討ちをかけていく。 「そうすれば今度は貴様で暖を取るのも乙であろう?」 「え?」 元就の言葉に今度は元親が「恥ずかしい」と俯く番だった。 熱帯夜――それも彼の側にいると、いつでも熱くて敵わない。でもその熱さがないと寂しいのも事実。真夏の真っ只中にいながら、二人は「暑い」とただ何度も呟いていくだけだった。 了 100822 もちこ様のリクエスト チカナリで、二人で都にお出かけするお話、だったのですが、時間が空いてしまったので再度お伺いして、親就でR18のお話、に。いれたいネタを詰め込みました! |