Happy holiday 年末に差し掛かるといつも死線を潜るような気持ちになる。 「いいか、お前らッ!」 店内に向って――早朝だが、声を張り上げる。すると威勢よく店員の「はいッ」という声が返ってくる。 「今日からはいつもの二倍三倍の笑顔と対応だ!客商売、舐めんじゃねぇぞッッ」 「押忍ッッ!」 此処は何処の道場だと首を傾げたくなるが、長曾我部元親の居る場所は花屋だ。どすの利いた声を張り上げる辺りには、ファンシーなリボンや飾りが置かれ、店内はほわほわきらきらとした色に満たされている。 朝礼で気合を入れてから、大量のポインセチアとシクラメンに占領されている一角を眺める。 ――クリスマスカラーって、俺にとっちゃ地獄の色だな。 約一ヶ月間、この色合いに悩まされるかと想うと、げんなりする。元親は自分の頬に手を、ばちん、と張りこむと背中を伸ばして店内に戻っていった。 「た、ただいま……」 よろり、と足元を揺らめかせて元親は自宅のドアに手を伸ばした。すると、中からドアをあけたばかりの元就が、無言で見上げて来ていた。既に彼は夜着に着替え、半分眠っていたかのような――いつもは凛々しく引き上げられている眉だが――それを、へたりと下げている。 「――…元親」 「ただいまぁ、元就ぃ」 疲労もそのままに、がばりと覆いかぶさるように元就にしがみ付く。いつもなら、此処で平手の一発でも飛んできそうなものだが、元就は微動だにしない。それを良いことに、自分の腕の中に収めていると、不機嫌そうな声を響かせてくる。 「寒い。早う、ドアを閉めろ」 「だったら、俺の体温で暖めて…」 「世迷言を言うだけの元気があるのなら、もっと早くに帰って来い」 ――途中で起される我の身にもなれ。 「ごめんな…」 後ろ手になりながらドアを閉めると、元就は既に前に進み出てしまっている。肩に羽織ったままのブランケットを、ぐるりともう一度身体に巻きつけている処をみると、寒くて不機嫌になっているように見えた。それなのに元就は肩越しに振り返ってくると、珍しく優しい物言いをしてきた。 「何か食うか?」 「飯、残ってるならお茶漬けでいいから食いたい」 「着替えて来い」 ふいと再び背を向ける元就に、うん、と頷きながら、履いていたエンジニアブーツを脱ぐ。そのまま部屋に向って着替えてくると、テーブルの上に丼が置かれていた。 ――インスタントが出てくると思ってたのに。 ほわほわと湯気を上げている丼の中には、ご飯の上に解した鮭、それにあられと三つ葉、刻み海苔が入っている。更に横には淹れたばかりの緑茶だ。 芳しい香りに、ぐう、と今更ながら空腹を腹が訴えてきた。 元親はソファーに座ってテレビのリモコンを弄り出す元就に視線をむけてから、ことり、と椅子に座り、手を合わせると丼に茶を注いでいった。 ――些細なことだけど、なんか手間かけて貰うと、愛されてる気がするなぁ。 安っぽいと言われても仕方ないが、しみじみとそう思うのだから仕方がない。 「そういえばさ、元就、何か欲しいものない?」 「何だ、唐突に」 「や、そろそろボーナスの時期だし」 丼の中の鮭が程よい塩気を伝えてくる。一気に掻き込んでいくと身に沁みるくらいに美味しく感じた。空腹が満たされて、ふう、と息をつくと、元親は手元にあったマグカップに残っている茶を注いでいく。 「何でも良いぜ?欲しいもの、言ってみ?」 「期待すると馬鹿を見るからいらぬ」 つん、と鼻先を上向かせて元就はソファーに下ろしていた足を縮めた。肩に巻きつけていたブランケットを引っ張り、足元をその中に押し込めてしまう。 「え、何だよ、それ…ッ」 「昔から、良い思いをした事等ないからな。欲しいと想うものは、手に入らぬ」 「そんな事ねぇだろ?」 とん、とマグカップをテーブルに置く。すると元就はソファーの上で、卵になるかのように身体を縮めていく。 「我が…」 「――…」 「我が欲しいのは…真に欲しいのは、手には入らぬ」 「元就…」 「だから、いらぬ」 鼻先を埋めてそのまま瞼を落とす姿が、まるで泣いているかのように見えてしまう。元親は椅子から立ち上がり、ソファーの背後から腕を回して――丸くなっている元就を、ブランケットごと抱き締めた。 「良いから、俺にもっと我侭言えよ。俺にもっとお前を甘やかせろ」 頬を摺り寄せて耳元に囁く。寂しそうな背中を見るのは嬉しいものじゃない。元親は彼をそのまま包み込んでいくように引き寄せたが、腕の中で盛大に「ふんっ」と荒い鼻息を立てる元就が、がばりと顔を上げた。 「要らぬ世話だッ」 「元就…ッ」 強情になる元就に、かちん、と来た。いいから言え、と、いいや言わぬ、の応酬を繰り返し、二人とも徐々に強情になって行く。語気を強めていくと、互いに息を切らせていった。だがそれも長く続くわけではない。元就が折れて、眉根を寄せながら――そうすると綺麗な眉間に皺が寄ってしまうが――ぼそりと告げてきた。 「ならば、水仙…」 「え?」 「水仙を我に寄越すが良い」 ソファーから立ち上がり、元就はブランケットを手に包みこむ。この話を終えてもう今日は休むつもりらしい。ソファーに寄り掛かりながら、元親は確認をこめて繰り返した。 「水仙だな?」 「ああ。一輪、濃い山吹色の、鉄砲のようなあの凛々しい姿の、水仙よ」 ふ、と見下ろす視線がなぜか引っかかるが、元親は拳を握って見せた。 「よっしゃッ!俺に任せておけッ」 「楽しみにしている」 ひらり、と踵を返して元就は自室へと戻っていった。元親は彼の背を見送った後、時計を見上げてから――既に時計は午前三時を回っていた――自身もばたばたと寝支度へと入っていった。 それが半月ばかり前の事だ。その時点で既にげんなりとしていた元親は、連日奔走していた。可愛い恋人の――というと語弊があるかもしれないが――ささやかな願いくらい叶えて上げたいものではないか。 「って言われたんだけど、水仙…ねぇんだよ」 「何で?」 配達のついでに前田家にお邪魔すると、慶次が静かに茶を立ててくれた。今も目の前で、しゅんしゅん、と湧く釜から、作法に則って柄杓をひらりと茶碗の方へと向けた。 そして茶筅で、さかさか、と静かに茶を立てていく。流麗な動きを見つめながら、元親は胡坐の上に肘をついて、がしがしと頭を掻いた。 「水仙ってさ、三月あたりの花だろ?今だと空輸しないと手に入らなくて…」 ――電話掛け捲ったけど、見つからねぇ。 「ふぅん…?」 「慶次ぃ、聞いてる?」 気のない返事に顔をあげると、横向きになっている慶次が、すい、と茶碗を薦めてきた。 「聞いてるよ。はい、お茶、どうぞ」 「お、これはこれは」 目の前に差し出された茶碗に、元親は居住まいを正し、正座する。そしてこちらも作法に則って静かに茶碗を受け取る。 ――す。 静かな茶室の中には慶次と元親しかいない。しかし慶次の気配は薄く、風景に溶け込んでしまっているようだった。皿に言えば茶の立て具合も調度いい。 ――向いてるんだよな、こいつに。 昔馴染みの彼をちらりと見上げてから、元親は茶碗を置いた。 「結構なお点前で」 「恐れ入ります」 しず、と頭を垂れる姿さえ堂に入っている。それなのに、顔を上げた瞬間の慶次はいつもと変わりなく、にこ、と口元に笑みを浮かべた。それを合図に再び元親は胡坐を掻き直した。 「でさ、水仙…どうしたら良いと思う?何かいい案、ねぇ?」 「俺想うんだけど、元就さんて花言葉とかに謎を潜めそうな人だよね」 「花言葉?」 す、す、と手元を片付けに向けながらも、慶次は「うーん」とうなってみせた。 「花を扱うなら、覚えておけって言われたって…元親、昔言っていたよ?」 「――水仙は碌なものねぇぞ。ナルシストだとか、自己愛だとか…」 「まだ在るんじゃないの?」 一通り考えてみていると、慶次が「ちょっと待ってて」と言って中座した。そして直ぐに戻ってくると、小さな文庫本程の大きさの本を渡してくる。 ――花言葉辞典。 差し出されたそれを見つめて「お前の?」と訝しく窺っていると、慶次は「まつ姉ちゃんのだよ」と苦笑した。 目の前に座った慶次は着物の袖に腕を差し入れる。ぱら、とページを捲りながら水仙の項目を探していく。 ――自己愛、ナルシスト…やっぱりなぁ。 書いてあるのは記憶を違わない。だがその他にも言葉を見つけて「あ」と元親は動きを止めた。その文字を眼で追っていくと、かあ、と耳が熱くなる気がした。 ――まさか。 本当にこの花言葉を元就がしっていたのだとしたら――裏に隠された彼の真意が解る気がした。元親が辞典を食い入るように見つめていると、慶次が小首を傾げた。 「後さ、俺たちにしてみれば、水仙って今の花だよ」 「え…?な、何で?」 「ほら、日本水仙。小さくて、香りの強い…あれは茶花だからさ」 ――うちの庭にもあるじゃん? 顔を上げてみると、慶次は袖から手を出して、庭を指差した。促がされるように首を廻らせると、庭が見える――日本庭園を模した庭に、そよ、と揺れる白い姿があった。 「――――ッッ!」 確かに其処には水仙があった。小さな、白い花弁を持つ日本水仙だ。冬空の下で、少しだけ早く咲いたのだと慶次は付け足していく。 「良かったら、持ってく?」 「助かる、慶次ッ」 ぱあと表情を明るくすると、慶次は「今、剪定ハサミ持って来るね」と告げたが、元親は「持ってる」とポケットからハサミを取り出してみせた。流石は花屋だと慶次が笑う中で、元親はいそいそと庭先に降りていった。 街中は赤と緑のクリスマスカラーで一色だった。その中では地味に映るかもしれない水仙を手に、元親は早々に自宅へと戻っていった。 今日は早めに――というか、殆ど店の者たちに仕事を押し付けて、飛び出してきてしまった。カレンダーを見れば既に日にちは二十二日――元就との約束から、随分と経ってしまっていた。 静かに花盆を出してくると、剣山を構える。 すう、と息を吸い込みながら、元親は静かに水仙を活けて行った。 ――かたん。 小さな物音に顔を上げると、和室の入り口に元就が立っていた。まだコートを着て、首にはマフラーを巻いている。 「お帰り、元就」 「花を…活けていたのか」 「お前には負けるけど」 「――――…」 流石に本家本元の彼に見せるのは気が引けそうになる。いつものフラワーアレンジメントとは違った――趣向を見せなくてはならない。 元就はそのままの格好で、す、と膝を寄せて花盆を見つめた。 「どうだ?久しぶりに活けたけど」 「まあまあだな」 「辛口だな」 ふ、と口元を笑ませて静かに元就が告げる。もっと手酷く評価されるかと思ったらそうでもない――だが、ふん、と鼻を鳴らす元就からは、自信に満ちた雰囲気が漂っていた。 「それはそうだ。我に適うと思うてか」 「適わなくていいさ」 今の元就が花を活けている姿は見ることがない。だが、幼い時分で既に彼の活けた作品は素晴らしいものだった。 それはまだ元親の記憶にも焼き付いている。 元親は花盆を静かに元就の前に差し出した。すると、花盆の中の日本水仙が、甘やかな香りを乗せていく。 「元就、お前の願い、解ったぜ」 「――――…」 花盆の白い水仙を眺めていた元就が、表情をなくして――いや、期待を込めて元親を見つめてくる。切れ長の瞳が、じっと此方を向くのを――視線をそらす事無く見つめていく。 「水仙には、ナルシスとか、自己愛とか、そんな意味があるけどよ…もう一つ、その裏の意味があるよな?」 ――もう一度愛して。 声を落として告げると、くしゃり、と元就は俯いてしまった。歪められる表情には、思惑を当てられて、体裁の崩れた情けなさを含んでいるようだった。 「気付いたか…」 「ゴメンな、俺、お前を不安にさせるばかりだな」 「――すまぬ」 ――無理をさせた。 素直に謝る元就に腕を伸ばしていく。 同居だと言い続ける彼の真意が解った気がした。自分は同棲だと、恋人だと、そう思っていても、これだけ彼を不安にさせてしまう程に離れていたのなら――すれ違ってしまっていたのなら、気持ちが離れてしまったと取られなくもない。 「謝るなよ。元就……」 膝を詰めて元就の肩を寄せると、頭を彼は肩に乗せてきていた。 ――本当に欲しいものは… そう言っていた元就の欲しかったものは、元親からの気持ちに他ならない。形にはならない、目にも見えなくて、確認する術など曖昧なものだ。 だが、欲しいと願ってしまう。 ふう、と疲れたような声で元就が瞼を落とした。 「言葉でも、存在でも、何でもいい。お前を寄越せ、元親」 「いいぜ〜?好きなだけ、俺を堪能しろよ」 顔を寄せて苦笑しながら鼻先を近づける。触れた唇に、どれ程彼に触れていなかったかを思い出させられてしまう。そうなると、もう止める事は出来なかった。 ばさばさと彼の服を剥ぎ取りながら、仄かに鼻先に香る水仙の香りに酔いそうになっていった。 和室の畳の上で、素足を絡めていると、ぐったりと力を抜いた元就が寝返りを打った。 「あのさ、元就…」 「――何だ?」 久しぶりに重ねた身体が疲弊を訴えてくる。鼻先には、まだ甘い香りが漂っていた。腕に元就の頭を引き寄せながら、彼の匂いを嗅ぐように鼻先を埋めると、元就はむずがるように身を捩る。 「腹へらねぇか?外に飯、食いに行こうぜ」 「今からか――…?」 のそりと上半身を起して元就が覆いかぶさってくる。そのまま元親の鼻先にキスを落として、滑るように唇を重ねると「このままでは駄目か」と聞いてくる。 元就の細い腰を両手で包み込みながら、見上げて眉を下げると「予約入れちまったんだ」と今更ながらに元親は告げた。 「明日、休みじゃねぇか。偶には、さ。ちょっと早いクリスマスだけど」 「…よかろう」 そういう事なら、と元就が顔を上げる。ふう、と髪を掻きあげる姿に見惚れていると、元就は全裸のままで、すたすたとバスルームへと向おうとしていた。 白い肢体が、凛としていて、それでいながら甘い香りを放つ。 ――そっくりだ。 横になりながら元親は舐めるように元就を見上げていた。そして、和室を出ようとしていた元就を呼び止める。 「元就」 「何だ?」 「お前、水仙みたいだな」 「我はナルシストではないぞ」 眉根に皺を寄せて憎まれ口を叩きながら、元就はバスルームへと向っていってしまった。その後で元親は手で口元を覆って、ふふふ、と照れ隠しのように思わず笑っていった。 了 まなかさん・魚子さんのリクエスト 花屋アニキの続編でクリスマス編。 |