手を繋ごう バイト先で知り合って、同じ大学だったことに気付いて、そして一緒にいる時間が増えてくると、お互いの距離が縮まってきた。 「旦那ぁ、ほらしっかり歩いて」 「ん〜…もう呑めないでござるぅ」 バイト先の飲み会で一緒になって、隣りあわせでずっと呑んでいた幸村は、足元が覚束ない程に泥酔していた。いつもならセーブをかけるのは、佐助の役目だ――だが、この日は幸村は「良いから」としきりに佐助の静止の声を遮って、くいくいと杯を重ねていった。 そして案の定、ふらふらで一人でなんて帰らせる訳には行かない状況になっていた。 「家、着いたよ」 「おお、有難いぃぃ…では、佐助…」 「ちょ…旦那?」 組んでいた肩から、する、と幸村は腕を外す。だが胡乱な視界で、深々と「ありがとうございました」という姿からは、頭痛を覚えるだけだ。 佐助はぐらぐらと揺れている幸村の身体を再び支えると、慣れた仕種でアパートの階段を上がっていった。 幸村の部屋には何度も来た事がある――というよりも、むしろ居ついている。 ――付き合おうか。 不意に出た言葉を今でも思い出す。バイト上がりの、出口の処で別れようとした瞬間、佐助は離れがたくて振り返った。 すると、調度反対方向の幸村も同じだったらしく、振り返っていた――なんてドラマティックな展開、と喜ぶよりも先に、どきり、と胸が鳴って、そして気付いたらそう言っていた。 ――御主が言わぬのなら、某が言っていたところだった。 言ってから、嬉しそうに幸村が笑って、近づいてきて手を繋がれた瞬間に我に返ったが、幸村はにこにこと明るい笑顔を見せてくれて――そのまま手を繋いで帰った。 その時の事を今でも昨日のことのように思い出せる。 肩を組んだまま、幸村の部屋の前に行くと、佐助はドアノブに手を伸ばしかけて、はた、と気付いた。 「鍵、何処?」 「ポケットの中でござる」 「何処の?」 「うーん…何処であったか…」 組んでいた肩に、幸村は両腕を絡めて、佐助の首にぶら下る様相だ。そ知らぬ振りで瞼を下ろす彼に、これ以上追求したとしてもまともな答えは返ってこないだろう。 ぎゅう、と佐助が悩んでいる間にも、幸村はしがみ付いてくる。彼の背中を抱き締めて、ポケットを探す――すると、どう観てもジーンズにしかポケットがない事に気付く。 ――まさぐれと?まさぐれと言うのか! あるのなら、四つのうちのどれか――だが何れも、手を突っ込まないといけない。何の試練だろう、と佐助は思わず天井を仰ぎ見た。 「どこぞにはあると思うのだがぁ」 「はいはいはい、じゃあ、破廉恥って怒らないでね」 「ん〜?」 ぐりぐり、と首元に幸村が擦り寄りながら――胡乱な答えを繰り返す。右腕で幸村の背を支えて、左手を握ったり開いたりと動かして佐助は呼吸を整えた。 ――とりあえず、深呼吸しておけ、俺様ッ! 触れている箇所は熱い――彼の吐息が鎖骨の辺りに触れて、ぞく、と背に戦慄が走ったが、それも押し込めて佐助は手を幸村の下肢に向けた。 ――いざ、忍参るッ! 「ん…――」 「…………ッ」 ――平常心だ、佐助ッ! ごそごそ、と左側――幸村からみたら右の臀部に位置するポケットに手を突っ込む。だが其処には財布と、バイト帰りに押して来たと見られるシャチハタの判子しかなかった。 ――逆か。 これが前だったらどうしよう、と一瞬考え初めてしまって、佐助は再び首を振った。そして「南無三ッ」と小声で呟きながら、向かって右の臀部にあるポケットに手を差し込んだ。 ――ちゃり。 手に金属の感触が触れる。佐助は「助かった」とばかりに――平常心のままでいられた事に感謝しつつ、素早く鍵を取り出すと、ドアを開け放った。 中に入って電気をつけると、幸村はその場に、へなへな、とへたり込んだ。ドアを閉めて、中から鍵を掛けると、佐助は玄関に転がっている幸村を見下ろして溜息をついた。 靴をぬがせて、よいしょ、と声をかけて横抱きにして、奥にあるパイプベッドの上に彼をゆっくりと下ろす。布団を掛けてから、時計を見上げると、既に午前2時を越えていた。 ――今から歩いて帰って、家に着くのは2時半かな。 鍵はかけてから新聞受けに放り込めばいい。そんな風に考えてから、幸村の額を指先で、さらり、と撫でた。 「それじゃあ、お休み、旦那」 「待て」 「え…?」 ――ぐい。 強い力で引き寄せられて、幸村の上に被さるかのような体勢になる。 「佐助、忘れ物……」 間近で観た幸村は、しっかりと瞳を開いて――暗い室内で、玄関の淡い灯りしかないだけの中で、佐助の瞳を射抜いてきていた。 ――す。 引き寄せられるままに、触れたのは柔らかい感触だ。それも熱くて、先程まで呑んでいた酒の味が微かに残っている。 「――――…ッッッッ」 くた、と強く引っ張る幸村の力が解けると、佐助は自分の唇を手で覆って、パイプベッドのサイドに座り込んだ。 ――どうしよう、俺様、今死んでしまいそう。 へなへな、と腰が抜けてしまいそうだった。息を飲むほど、幸村は綺麗な瞳で此方をみていた――その視線に動けずにいるなんて、何処の童貞だ、と自分を詰ってしまう。 だが、佐助はその場に座ると着ていた上着を脱ぎ、ベッドに背中を預けた。 ――付き合いだしてから、そういえば俺たち、キスすらしてなかった。 がしがし、と後頭部を指先で掻いてしまう。友人の延長を壊したくない、でも踏み込みたい――そんな相反する感情に翻弄されているのも事実だが、そろそろ限界だ。 でもその限界は、佐助だけでなく、幸村もだったのかもしれない。 「佐助ぇ…手、を」 「手がどうかした?」 ごろ、と身体を横に向けた幸村の手が、佐助の肩に降りかかる。その手を取って聞き返すと、閉じた瞼の下でまどろみの中の彼が、ほ、と息をついた。 「手、繋いでてくれ」 ――ぎゅ。 掴み取った手に、幸村の手が触れる。そして指先が絡まる――手を重ね合わせて、佐助はそっと眠る幸村の頬に唇を近づけていった。 ちらちら、と朝日が差し込んでくると、幸村はごそりと起き上がって背を伸ばす。 「あ〜、良く寝た」 ぐん、と両腕を伸ばすと、右腕が重かった。何だろうと観ると、自分の指に指が絡まっている。 「おおおっ?佐助?」 「おはよ、旦那」 腕を一緒に伸ばされて、体勢を崩した佐助が鼻先を抑えて顔を上げる――どうやら幸村のベッドのパイプに鼻っ面をぶつけたらしい。 「お前、どうしてこんな処に?」 「それは昨夜の泥酔したアンタを連れて帰ってきたからです」 手を離して窺うと、佐助はベッドの下に正座をしながら、淡々と答えた。鼻先は赤くなっており、其処を彼はしきりに擦っているが、視線は下に向かったままだ。 「それはすまなんだ」 殊勝にも、こくん、と頭を下げると、いえいえ、と佐助は答えた。だが彼の様子が可笑しい――幸村はベッドの上から身を乗り出して、佐助の顔を覗き込んだ。 「佐助…――その、昨夜はすまなかった」 「それは良いんですけどね、良いんだけども…――」 「まだ何かあるのか?」 顔を近づけていくと、佐助はふいと顔を背けた。そして幸村の肩に両手を、がっしと引っ掛ける。 「酒臭い」 「む?」 きょとん、と幸村が瞳を見開くと、ぐい、と引き上げられる。一緒に立ち上がると、佐助は声を張り上げた。 「ああ、もうッ!ムードも何も吹っ飛ぶわッ!さっさと風呂入って来いッ」 「お、おおッ!解った…ッ」 びしり、と言われて思わず背筋が伸びた。幸村がばたばたとユニットバスに駆け込む。その直ぐ後にシャワーの音が響き、佐助はその場にしゃがみ込んだ。 ――危なかった。 寝起きの幸村を前にして、本当は平常心でなんていられなかった。いつの間にか寝てしまっていた佐助は、彼が起きる寸前に眼を覚ましていた。 そして幸村の寝顔を見ている内に、もっと触れたくなってきていた。何度も手を伸ばして引っ込める――だが繋いだ手は、がっちりと幸村に握りこまれて離れない。 ――なんかの試練かと思ったよ。 やっと気まずい思いから開放されて、佐助はホッと胸を撫で下ろした。そして徐に立ち上がると、勝手知ったる他人の家だ――冷蔵庫を空けて中を確認する。一昨日、一緒に買い込んでからどれ程も減ってはいない。 佐助は腕捲りをすると、バスルームの外に寄り掛かって中に声を掛けた。中からはシャンプーの良い香りが漂ってきていた。 「旦那ぁ、味噌汁の具、何が良いの?」 「油揚げと葱がいいな」 「はいはい」 ――キュ。 佐助が返答すると、出ていたシャワーの音が止まった。そして中から幸村の声が響いてくる。微かにドアに彼の姿が翳って見えているから、観ないようにと背中を向けていた。 「佐助」 「うん?」 「一緒に入るか?」 中から、すとん、と言われた言葉に、ぼん、と顔から火を吹くかと思った。ぶわりと背中にも、鼻の頭にも汗が浮き出てくる。 「じょじょじょじょ冗談ッ!」 「照れずとも良いのに」 ふふふ、と中から幸村の笑い声が響く。 ――もっと踏み込んできてくれていいのに。 幸村の静かな声が、そう甘く響く。朝からなんて状況だ、と想いながらも佐助はずるずるとその場に滑り込んで――しゃがみ込んだ。膝を抱えて座っていると、シャワーの音が響き、その後にカランから湯が多めに出て行く音が響いた。湯船を作っているのだろう。 「まだ其処にいるのだろう?佐助」 「ううぅぅ…あんた、俺様からかってるでしょ?」 中から幸村の声が聞こえる。姿が見えないのが、せめてもの救いか。 「俺な、お前にひとつ願いがあるのだが」 「なに?」 ちゃぷん、と溜まる湯が軽い音を響かせる。その音を聞きながら、佐助は立てていた膝を倒して、その場に胡坐をかく。 「朝ごはんを食べたら、一緒に手を繋いで、外に行こう」 「――…」 じゃぶ、と風呂の縁に寄り掛かる音と共に、ストレートな幸村の声が中から響いてくる。耳に心地よく響く彼の声に、佐助は耳を澄ませるだけだ。 「手、繋いで行きたいのでござる」 「ささやか過ぎだよ、旦那ぁ」 ふふ、と口の中で笑いながら、佐助は立ち上がると、ふと思い立ったようにバスルームのドアを開けた。驚いて幸村が振り返る。 「――――ッ!」 「お背中、流しましょうか?」 ぱくぱくと動く幸村の口元が、首から色付いていく肌が、彼の動揺を伝えてくる。先程まで口説き文句を言っていた本人とは思えない。 佐助が「冗談だよ」とドアを閉めると、中から「破廉恥な――ッ」と叫ぶ音と共に、盛大に湯船に沈む音が響いていった。 あの日、僕らは手を繋いだ。 そんなに長くない道だったけれど、その時の幸せな気持ちは何にも替えられなかった。 了 舞雪様のリクエスト 佐幸で、現代パロで、半同棲的な二人の日常 |